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相澤さんは、NHKの政治部の人で、3月25日から10日間密着取材ということでご一緒しました。この頃、仮設住宅について、県のほうは公共用地にしか建設しないという方針でした。3500世帯分の内、1080世帯分しか建たないということだったんです。
自分としては地元を離れたくないので民有地の活用を願っていたのですが、県に話しても取り付く島もない状況でした。その時に相澤さんに電話して状況を話したら、すぐに国交省の大臣(2011年3月当時は大畠章宏大臣)に「被災地の生の声はこうです」ということを話してくれて、国のほうから県に話があって、今の民有地を使えるようになったんです。
相澤さんがいなかったらどうなっていたか、と思います。後で町長から「あんたが突っ走るのだけが心配だった」と言われました。相澤さんは「私は何もしてない。ただ大臣に繋いだだけです」と言っていたけれど、相澤さんが動いてくれなければ、仮設の建設はもっと遅れ、こんなに早くは実現できなかったでしょう。
「ひた走る花屋—志津川・中瀬町の花々と星々と」佐藤徳郎さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和26(1951)年生まれ
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