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あとは「振興会」というのがあって、人と人とのつながりを作るためにスポーツやゲートボール、そういったイベントとか、体操とか、そういう「年寄りが元気になるには、どういうことをしたらいいか」というのをやるわけね。というのは、今は病院へ行くと年寄りばっかりでしょ? 何でもないのに病院に来ては負担を大きくしている。年取ってくると体を動かさなければならない。体を健康にすればするほど、国はお金がかからないでしょ。
また、その「振興会」とか「契約会」とか「老人会」とか、別々の集まりが一緒に何かをやる場合もあるわけ。どっかでつながる点があるわけね。
「シルバー人材センター」が本吉に発足することになったときは、2年間理事をやらせてもらいました。そういう人の世話をする役回りが嫌で、静かにおとなしく暮らしたいと思って田舎に来たのに・・。
最初は、お掃除とか、買い物とかの仕事がほとんど回ってこないの。でも、段々とシルバーに頼んでくれる人が増えてきました。農家の人なんかは、段々年取って田んぼをやる労力が足りないのね。で、そういう家事を頼むのね。安くてやってくれるし。人材センターにいるお年寄りは、みんな現役をやっていた人だから、助かっているんじゃないですか?
本吉町は、国の推進事業として(平成の大合併)、平成21(2009)年9月、気仙沼市と合併をしたんです。合併に反対する人もいたけど、賛成する人もいて、メリットもあったんだけど、結局、合併してみたらデメリットの方が大きく出てしまったんです。財政的にも安定していたのに、貧乏になっちゃったし、議員さんも少なくなってしまいました。
歌津と志津川との合併は対等合併で進めようということで、合併協議会の会長に志津川の町長、副会長は私という体制で進めました。
平成17(2005)年10月1日、歌津と志津川は正式に合併して南三陸町が誕生し、私は、その前の月、9月21日に平成の森で記者会見を行いました。歌津町の最後の大きな行事となった老人クラブの大会も無事終わり、町の行事がすべて終わったのを見計らって行ったのです。そこで私は、「南三陸町町長選挙には出馬しません」、そして「町長選に誰が出馬しても、応援は一切いたしません」と宣言をしました。そして、「新しい南三陸町町長には、ひとつお願いがあります。海や山を活かした、第一次産業を中心とした町づくりをしていただきたい」と申し上げたんです。歌津も志津川も海で生きる町だからです。
町長を辞任した10月1日の次の日から、次の町長が決まる11月4日まで、私は職務代行を務め、職場を去る最後の日、11日に志津川の役場に職員全員を集めてお別れの挨拶を行いました。「私は今日で南三陸町役場を去りますが、皆さんにお願いがあります。南三陸町は職員の皆さんがつくる町ではなく、住民の皆さんがつくる町です。だから職員の皆さんが現場に出て町民の声を聞きながら、町民がどのような町をつくりたいのか聞きながら、新しい町をつくってください」と最後のお願いをし、完全に行政から手を引いたわけです。
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