文字サイズ |
牛は2頭飼っていました。うちは肥育といって食肉牛、メスの黒毛和牛です。これは、仔は産ませませんから、仔牛は馬喰(ばくろう。馬や牛専門に売り買いする人)さんから買うんです。当時は、農協も牛の売買はやっていませんでしたからね。馬喰が車に仔牛を3頭ぐらい載せてくるので、そこから買うんです。牛の産地とか、そんなことは分からないれど、「ああ、この牛なら良いなあ」というのを選んで買うわけです。エサは生の草を刈ってやる。土手の草は全部牛にやってました。1尋(ひろ。手を広げたぐらいの長さ)くらいの藁で、刈った草を丸く束ねて「六丸(むまる)」を作る。六丸を1段と呼ぶんですが、それで牛2頭を1日食べさせられる。毎朝5時に起きて1段刈って、一度には運べないから、背中に背負って3往復する。途中から、一輪車が出て少しは楽になりましたけれど、これを、草のある時期は毎日ですから、若いだけに辛かったですよ。
Please use the navigation to move within this section.
© 2012 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.