文字サイズ |
在学中に、4カ月ほど牛乳当番もやりましたね。毎朝、4時半から5時には起きて、昔の魚屋さんのような自転車の前に荷台のついた運搬車で、農家に牛乳を買いに行くんです。
農学寮でも乳牛は飼っていましたが、足りない分は農家から買っていました。農学寮にはミルクプラントがあったので、農家から牛乳を買ってきて瓶詰め作業をするんです。瓶に詰めたら、20リットル入りの牛乳缶を荷台に3本、前輪の脇に2本、後輪の後ろに1本、計6本120キロの牛乳を農家まで運びます。
道は舗装もされておらず、道端には砂利がたまっていて、タイヤをとられて転んだら1人で自転車を起こすこともできません。とにかく慎重に、できるだけ砂利の少ない道路の真ん中を走りました。めったに車も来ませんし、トラックが来ても避けてくれてましたね。牛乳は集めてきて、農学寮のミルクプラントで処理し、それを瓶詰めにして、農家に1軒1軒配るんです。私は70軒位担当しました。ちょうどあの頃は作並街道というのがあって、熊ヶ根橋がちょうど完成する頃でした。
Please use the navigation to move within this section.
© 2012 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.