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ここ小泉地区には、昔から小さな集落があって、私は宮司として、八幡神社が本務、それから蔵内(くらうち)という浜の地区の祇園神社も兼務しています。
八幡神社の神職は最初、長男がやっぱりやっておったんですよ。長男が戦死しましたので2番目の兄貴が神職を継いだんです。これも病気で亡くなったんで、地区の方々が、「3番目のお前がやれ。地区に神社の神主がいないと、地区にまとまりがないと大変だから、お前やってくれ」ということで、三男ながら神職をしています。
神社のことをお話ししておくと、お寺さんであれば、何宗派、本山がありますが、日本の神社の総本(そうもと)が伊勢の天照皇大神宮、そこが日本の神社の唯一無二の総本山なんですよ。事務関係は東京の代々木にある、神社本庁が執り行います。会議はわざわざ伊勢まで行くんじゃなくって、神社本庁でやる訳です。つまり、伊勢そのものはお祀り、事務的なこと、日本中の神社に何か連絡をするとか、全員で集まって何かやろうっていう時には、代々木でやるんです。全国の神社は所在地によって東北、関東、近畿、九州などというおおきな9つのブロックに分かれ、さらに都道府県ごとに支所のようなものがあります。
この八幡神社はヨダワケノミコトをお祀りした神社で、天文12(1584)年に建立されました。桃山時代ですね。当時小泉地区には小泉城があって、殿様の三条小太夫近春(さんじょうこだゆうちかはる)が中舘平五郎信常(なかだてへいごろうのぶつね)を宇佐八幡宮にやって、そのころは交通機関も何もないもんですから、1年かけて歩いて行ってね。九州・大分の宇佐八幡宮が日本全国の八幡様の総本宮なんですよ。格が高くなってくると、八幡「神社」ではなくて、八幡「宮」になるんです。そこから分霊してもらったのが始まりなんですね。小泉城の跡は、今朝磯(けさいそ)の仮設住宅のところにあるんです。
この三条小太夫近春は実は謀反をしてるんですよね。別の殿様についていて、少し勢いが強くなったもんだから、伊達政宗が邪魔だからやっつけようということで、船なんかで来たんだそうです。その時に今朝磯や蔵内の高いところに城を作っておいて、そこから伊達の軍船を弓で射たそうです。上から攻撃するのは簡単。それでああいう城をつくってたらしいんです。
お殿様が住んでるお城は小泉城で、海の近くは敵が来たときに抑えておくものです。近春は伊達に口実をつけて呼び出され、家来を4~5人連れて仙台に向かいましたが、途中の桃生(ももう)で、伊達の家来が弓か、槍なんかを持って待ち伏せしてたんですね。近春側は小人数ですから、家来はやられてしまった。近春は近くの沼に身を隠して、しばらく浮き上がってこなかったそうですよ。
なぜそんなことができたかという、おかしな話があってね。近春が小泉の川に馬に乗って入って馬を洗っていると、河童がいたんだそうです。河童が馬に悪さをしていたので、近春が河童を「お前、そんなことしちゃだめじゃねか」っていきなり押さえて、えらく説教したんだそうですよ。「いや殿様、助けてくれたから大事なことを教えてあげます」と、水遁(スイトン)の術っていって、水に長時間潜っていられる術を授けたんだそうです。それで、沼に身を隠したんですね。
伊達の家来は、「近春は死んだ、もう万歳だから帰ろう」と言って去って行った。伊達の家来が帰った時に、近春はこそこそ上がってきて、小泉に帰ってきたんです。次の年になっても、伊達家からまた、「来い」と命令があって、近春も今年はダメだって覚悟したんですよ。「今度行ってまた水の中に隠れても見つかってしまうだろう」と。それで、もう八幡神社のお祭りは見納めだからと、早めにお祭りをやって、そして覚悟して出て行ったんですね。
それで、一般には八幡神社っていうのは、全部旧暦の8月15日に祭典をするのに、8月13日が小泉八幡神社の祭典日になっています。だから、小泉の八幡神社っていうのは、早生(わせ)八幡って近所から言われています。
さて、近春はやっぱり、沼に逃げたけども、今度は伊達の家来は魚を獲る網を持ってきて、沼をですね、全部さらってしまって、見つかったんですね。そして、その場で打ち首になった。
首をどこに埋めたかよくわかんないんです。昔、小泉の山のあたりを、何かを建てるためか掘ったら、頭蓋骨がひとつ、出てきたんだそうです。近春の頭かどうかはわかりませんが。沼だったところも、もう平地になって、田んぼになってます。だから、この場所ってしかわかんない。石巻の近くです。
こういう歴史的な話を、毎年神社に来る子どもたちに教えたいと思っても、いつもまとまった時間がないんですよね。ちょっとだけお話したら、あとは、「これは何ですか」と子どもから質問を受けたり、子どもが鈴を鳴らしてみたり、それから梵鐘をごーんってやってみたり、遊んで帰るもんだから。いつかはこういうことを教えたいと思っているんですよ。
こういう話は私の記憶にはあるんだけれども、それが果たしてみなさんにお話ししてやれるくらいの根拠があるのかっていうと、私自身ちょっと、自信がないんです。だから漫談みたいなもんかも知らんですけどね。近いうちに多賀城の資料館に行って文献に照らしてみたい、小泉の話をもっと見つけたいと思ってるんですが。
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