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子どもの頃の遊びといえば「木馬(キンマ)」でした。近所に子どもが沢山いたので、先輩の見よう見まねで自分で作って近所で遊んでいました。下駄にカスガイを打って「下駄スケート」もよくやったし、木にロープを結わえつけてブランコをしたりもしました。たくさんいた子どもも、尋常小学校の6年生になる頃には、尋常高等小学校に進学する人はいくらかはいましたが、家のために紡績工場に働きに行かされる子もいました。
野球だってグローブもバットもない時代です。お金持ちの家にはありましたよ。
スケートだって下駄スケートです。下駄の歯をとって鎹(かすがい)をやすりで研いて、それを下駄に打ちつけて下駄を履いてスケートしたんです。同級生で靴のスケートを持っている人は2~3人しかいず、金持ちしか買えない時代だったんです。スケート場は田んぼ。昔は寒くって30センチぐらいの厚さの氷が張ったんです。12月から2月ぐらいまではスケートできました。アイスホッケーもやりましたね。
後は竹スキーです。スキーなんて売っていないから、自分で作ったんです。ほかの家の竹やぶで竹伐って、竹の節に長靴を合わせて割って、後ろのほうに裂け目を入れて、雪に刺さんないように前をちょっと上げて。それだけでは飽き足らなくて、竹を長い状態で自分の背丈に合わせて竹を切って節を落として、そこだけくりぬいて長靴が入るように工夫したんです。開くよりも丸い分、スピードが出ました。中学校辺りは丸い竹スキー。わざわざ斜面があるとこに行くわけ。アイスバーンだからすごく滑って、怒られましたよ。
「ひた走る花屋—志津川・中瀬町の花々と星々と」佐藤徳郎さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和26(1951)年生まれ
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