文字サイズ |
漁業でもね、機械でなかったから、「櫓で漕ぐ」って言うでしょ? それだったんだから。沿岸漁業ではこの辺では戦後まで手漕ぎでした。それでもなんとか生計を立てていました。生活のために売るのは魚やワカメでしたね。開口の日には、私もウニやアワビも獲りました。ただ、何を主に獲るかというのは家によって違います。規模も条件も違うから一概には言えません。私は戦争に行っていますから、終戦後帰ってきてからは、ワカメとかホヤとかの養殖を主にやってきました。
私の親は、遠洋漁業に雇われて行ったこともあります。遠洋漁業に出る人というのは、船主があって、雇われて行くんです。部落の人が皆行くというわけではありませんし、年中ではなくて漁の時だけ行きます。昔は、そんなに長い航海というのはなくて、戦後船が大きくなってから外国へ行くようになって、インド洋だの何だのってなったんです。
ワカメの養殖は被災したけれど、この19日にね、面接があって、本当に養殖を再開したい人は、場所与えてくれるみたいです。一応はワカメの種付けてて、来年はみな共同でやりたいけど、1回にはできないですよね。全部用意すると、何千万もかかるので。それでも旦那はやる気でいるね。
収穫量の見込みは、海が汚れてるけど、状況はいいみたい。畑でもそうだけど、海が底からかき回されて栄養が海の中に出ているらしいです。だから、今まで養殖を10台やってたところが、5台ぐらいで、今までの量ができるって、大学の教授が来て言っていたらしいです。
問題は、現金なのね。今まで漁協に貸しがあったんだけど、現金だから、どの程度やるかが問題です。養殖をやったら何百万もかかるからです。漁業組合では、物を売るのは現金取引ですが、そのお金が後から戻って来るけど、何年先に戻ってくるかは分からない。そうなってくると生活もあるし。
資金は漁協にいちおう当てがありますが、この後、来年か再来年からは、個人で養殖するのは個人がお金を出すことになります。補助は出るけど、国でいつ補助を出すか、2年先か3年先かは分かんないんですね。だから、先に自分でお金を払っておかないと、仕事ができないんです。ここは漁協じゃなくて、個人で払うんです。会社組織にすると、やっぱりあまり良くないって言う人もいます。
早くみんなに家を建ててもらいたいですね。そして漁業に復興してもらいたい。
歌津はここはアワビ漁が有名なんです。だから1日も早く、いくらか後で払ってもいいから、早くアワビ放流して、アワビ養殖でまた盛り上げていきたいですね。ワカメ、牡蠣、ホヤ、ホタテ、あとウニ、ここはほとんどそれで食べているので。それから、大きな船も要りますね。今みんな焼いて無くしてしまっているから、そういう人たちも働きに出るようになればね、良いと思います。国だって、私たちが税金払えるようになればいい思うんですよね。私らの考えはこうです。
とにかくここは、漁業が復興しないと、収入は上がんない。働くことが大切だね。第一に漁業の復興。あとはいいんです。
味噌は、小鯖に嫁に来た頃はずっと家で作ったの。豆を煮てね。親類でカツオ製造する家があって、カツオ煮る窯で豆を煮てもらって、そして手で回して潰して、塩入れて、麹は入れたったかなあ? そうして作ったんです。ここ結んで、藁でこうくるんで、こうぐってそして炉さつるしてね、カビが生える。そのカビがいいんだ。私は笹浜の実家にいる時から見てきたから、わかってんだぁ。味噌は秋に豆がでるから、仕込みは秋でしたっけかね。
家で作らなくなってからは、最近までは気仙沼で作って貰ってたんですね。子どもたちが、「仙台の住民は仙台味噌ってやるのに、なんで唐桑から味噌もって行く。いらない」って誰も食べないから、いまは家でも近所で買って食べるの。生協さんが持ってきてくれるし、お店でどこでも売ってるからね。
お茶も作ってましたしね。囲炉裏に炭をおこしてね。四角な入れものに、何枚も何枚も厚く紙を貼ってね。そこに蒸したお茶の葉を入れて、炉の上で蒸気を飛ばしながら揉んで、カラカラになるまで水分を飛ばして、作ってましたよ。新芽がでたころね。5月かなあ。今はそんなこと、する所どこもないけど。
とにかく、自給自足でしたからね。どこの家でもね、田はあるし畑はあるし、小漁にいって父親とか兄たちは魚獲ってくるしね。ホヤ、アワビ、ウニ、そういうのを食べて育ってね。骨のうるさい魚でも、アワビでも何でも好きだから、「なんぼでも食べろ」って、アワビなどは、周りの固い所を包丁で取って真ん中ばり(だけ)食べました。なんぼ好きでも、2個も3個も食べれば飽きてしまうから、もらって行くからって、むき身をポケットさ、いっぱい入れて持って帰って来たもんだ(笑)。今なら、買えば1個1000円以上するもんね。
梅干をつけるのにね、家のお姑さんが、「梅は、毎年なるもんでないから、今年なったらいっぱい漬けなさい」と。「来年はなんないかもわかんないよ」って。
Please use the navigation to move within this section.