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この辺りでは、昭和30年には開田政策により、もともと煙草地帯だったのを水田に切り替えるため、PCB系の猛毒の除草剤をばらまき、水が汚染されてホタルの数が激減しました。やがて作った米が余る時代になり、昭和45年には減反政策が打ち出されました。稲作をやめればお金が出ることから、みんなが稲作をやめ、田んぼは使われないまま休耕田となりました。除草剤が使われなくなり、それによって数万のホタルが爆発的に発生したのです。そこで、話し合いの中で、「昔からここにはホタルがいる。都市化が進んでいく中で、希少なホタルがいる環境は重要だ!ホタルを保全しよう!」と考えたのです。
そのためにまず、私たちはホタルついて勉強することから始めました。ホタルの種類、生態、ここでのホタルの位置づけ、価値とはなんなのかなどです。ゲンジボタルはもともと関西にいて、(当時は)ここが北限だったのです。春に草刈りをしたり、川の清掃をしたり、ホタルの幼虫のエサになるニナガイ(巻貝)の保護をしました。
ホタルが見られるのが6月末から7月初めがピークです。東北大の生物学者で国の文化財保護委員の加藤陸奥雄(元東北大学学長、平成9年没)さんを鱒渕にホタルのシーズンに実際にお呼びしたところ、「ここはすごいよ!こんなに環境があって、餌のニナガイがたくさんいて、きれいな清流があって、しかも荒らされていないというのは、宝物を守るというのとおなじだよ」と言われましたので、それで我々も自分たちの活動に自信を持つことができました。加藤さんはその後、東京の会議で、鱒渕のゲンジボタルは国の天然記念物に指定すべきだと発表されたのです。地元が天然記念物に指定していないものをいきなり国が指定するという提案が上がって、町と県が相次いで天然記念物に指定し、昭和54年、最終的に国の指定を受けるに至りました。そこで、「ふるさと会」だけでは保存活動はできないので、昭和51年、地域のみんなで守ろうという「鱒淵源氏ホタル保存会」が結成されました。
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