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学校で昭和17(1942)年位かな、今の中学1年生のときです。ウサギ追いの手伝いをしたことがあります。山でね。何人かいる猟師のお父さんが山向こうで待っているから、生徒みんなで声だして、「おおおおお~ほ~ほ~」って地面を叩いて、木の棒なんか持って、叩きながら追い出して、山すそから追いっこしました。今の鹿撃ちと同じです。3匹くらい獲ったかな。学校でいただいて兎汁にして食べさせてもらった思い出があります。ウサギと一緒に雉も出て、そういうのを猟師の人たちに撃ってもらって、学校でもらって、学校行事で食べたことがあります。山には、今でもタヌキやキツネ、ウサギ、ハクビシンなんかは、いると思います。
栄養失調だな。田とか畑とかあれば少しはマシと言うくらい。お米が一握りあったら、後は大根の葉っぱとかそこらにあるものを入れて、雑炊にして食べました。ご飯は少しで、後は芋だのなんだの雑穀だな、そういうのを入れて食べた。それは皆です。浜の方でも、どこでも。
ガスなんか無い時代だからね。炉辺で焚き火でやったんだ。薪を焚いているので、煙でまなこをやられて「めちゃ(結膜炎)」が多かったです。「めちゃ」っていうのは、目やにが出たり、まなこがクチャクチャってなることです。煙でいぶされるから目が開いていられない。それでも、寒いときは煙に当たってもいいから火のそばにいて暖をとろうとすると、目をやられたんだね。昭和24〜5年くらいまではそんな風でした。
ガスは今から40年くらい前かな。焚き火はずっと続いているけれど・・。
「縦の糸はあなた、横の糸は私──夫婦の自分史」千葉貞雄さん・きちよさん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和4(1929)年生まれ
昭和30年代からホタルをとりまく環境は急激に変化しましたが、その間に山は広葉樹林から針葉樹林に変わってしまい、この辺りの生態系も変化してしまいました。
昔はこの辺の森林は広葉樹で、ナラ・クヌギなどの林があって、薪や炭として使うために、2~30年の間隔でのこぎりで伐採していました。のこぎりでの手作業ですから、時間もそれなりにかかり、それは森林の再生のスピードと合っていて循環型社会を形成していました。ところが、チェーンソーの導入によって、短時間に一山すべてを伐採してしまい、山が裸になるということも起き、さらには昭和30年代の経済成長によって、住宅用の杉・松が将来的に貴重な財源になるという見込みで、その植林が始まりました。国策で東和地区80%増を目指して杉・松の造林が行われたのです。
結果的に70%以上増の植林が達成されました。そのために生態系が変化して、生物全体が変わってしまいました。山に入って手入れをする人が減ると動物が増えます。広葉樹の実などを食物とする野山の生物(タヌキ・キツネ・シカ)は、山にあるべき餌がなくなってしまい、秋口に民家に降りてきて、トウモロコシや枝豆を食べてしまったり、放し飼いしているニワトリや卵を食べてしまったりします。実は、私の家でも秋になったころ、白昼堂々とキツネにニワトリを襲われたのです。
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