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イチゴ栽培も、今はずいぶん楽になったけど、当時は手がかかりました。温度の管理は換気扇で、暑くなったら開けて、涼しくなったら閉めてと、しっかり見張って面倒を見なければいけません。今は自動でやってくれる機械がありますけれど、昔はそんなもの、ありませんからね。生き物を飼うのと同じなんです。だから、イチゴの時期はほとんど出かけることができませんでした。
私の実家は伊里前にありました。前町切(まえちょうぎり)の場所よりも下。敷地は380坪ほどあったでしょうか。お祖父ちゃんの代から農業一本の家系で、今も、山林40町、水田1町、畑5反歩はあります。馬2頭、牛2頭を飼って、昭和60(1985)年ごろまでは桑畑も2、3反歩ありました。蚕を飼って生糸も取っていたんですよ。でも、平成4(1992)年、私が町長になる直前に、桑は全部抜いて、銀杏を植えたりもしました。その後は、30反くらいを使ってハウス栽培でイチゴやホウレンソウを作りました。
最初はお母ちゃんと2人でイチゴを始めたんですが、だんだん腰が痛くなったので、最後はホウレンソウをやりました。大きな農家ではありませんが、昭和30年ごろには8反歩の農地があったので、歌津駅から自宅まで他人の土地を通らずに帰って来ることができたんです。その土地に、やがて鉄道が走り、役場や商工会、仙台銀行、駐在所などができた。鉄道のトンネルを掘って出た土なども、全部田んぼに埋めました。敷地の中に何でも揃っていて、それは便利でした。ちなみに、漁業権はお祖父ちゃんが亡くなったときに使うこともないだろうと手放したそうです。
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