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被災後

私たちがいた避難所には小学生、保育所の方々、中学生高校生、地域の方々と幅広い年齢層の方が集まっていました。幸い、子どもたちは校長先生の的確な判断ですぐに避難して、1人も流されなかったのです。
その日、PTAの役員会があったことも幸いしました。避難所では、大人どうしが集まると、津波についてやっぱりしゃべるわけです、ああだった、こうだったと。そうすると、小学校低学年くらいの子どもが怒って「言うな」って言うんです。彼等も津波というものを自分たちの目の前で見たんですね。だから、大人がその話をすると耳を塞いで、「言うな言うな」って。
日本人として生まれて良かったと思ったのは自衛隊の人の来た時ですね。同じ日本人が助けに来て良かったと思いました。あとはアメリカ空軍の方々、あれには助かりましたね。ただ、言葉が通じないのが非常に残念で、英語も少し勉強すれば良かったと。食べ物は身振りで通じますが、避難所で「女性の下着がないから、なんとかして」と言われた時は困りました。アメリカ兵に「ブラジャー」と言っても通じなかったんです。それで、サイズを表すBのなんぼとか、Fのなんぼとか行ってみたら、「OK、OK」と言って理解してくれました。
米軍のヘリが救援物資を持ってくるのに、名足小学校の校庭にヘリポートを作って、そこに来た救援物資を、われわれの地区だけでなく、周りの地区にも分配していました。隣の地区の人が、自分たちの地区にヘリポートのHの字を描いたら、今度は米軍のヘリがこっちにまったく来なくなり、「隣に見に行って見っぺさ」と行ってみたら、隣の地区にばかり降りていました。物資がそちらに行ってしまったんです。そういうことがありましたね。
その救援物資は、食べ物も生ハムとかジャムとかパンとか、アメリカの人が食べるものだからさ、食べ慣れないものでした。それを半分ずつに切って。
うまかったなぁ。でも、来る日も来る日も、一生分くらいパンを食べました。それからカップヌードル。もう沢山という位で、あれから私はパンを食べていません。後になると野菜などの生ものも支援物資が来て、ありがたかったですね。
山に逃げて助かると今度は、地区の施設に行く途中に木の間に挟まっている人がいるというので、チェーンソー持って来て、切って助け出したんです。途中で2、3人の人を助け出したんですが、怪我をされていて、今でも助かったどうかは分かりません。まさに地獄でした。夜は、雪で寒かったですし。
自宅に戻ったのは翌日でした。
山を降りて道路に出ると、向こうからアメリカ製のジープのような車が来たんです。運転していたのはガタイの良い男の人で、「乗っけてくんねえか?」といったら「いいですよ」と言って乗せてくれました。
その人が「私たちも歌津地区に行こうと思ってたんです」というので、よくよく話を聞いてみたら、「坊主ですから」って。その方は和尚さんだったんです。ぱっと見ただけではそんな風には思えない人だったんですよ(笑)。歌津のお寺が流されたという連絡を受けて来たということでした。タイミングがちょうど良かったんです。
それで乗せていただいて自宅に戻ることができました。自宅は流されませんでしたが、浸水して、またいつ何時津波が来るか分からない状況だったので、家族は名足保育園の避難所にいました。私は津波が来る前の最後の電話で、女房に「慈恵園にいる」って連絡して、それから家族と音信不通になっていました。だから、慈恵園が流されたと知り、家族はもうダメだって思ってたんでしょう。避難所に私が現れて「おい」って言ったらびっくりして、「ああ、生きてたのか!」なんて(笑)。
そこから、避難所の方々も食べていかなければならなかったので、家が残った方がたのところに米があったから米を持ってって、食べてもらいました。白米は少なく、玄米の状態でしたので、昔の家庭用の脱穀機を引っ張り出してきて、それで白米にして持っていって食いつなぐ、という状況でした。
私は毎日のように朝早く避難所に行って、夜遅く自宅に戻って、という生活をしていました。みなさんの要望聞いて昼間は避難所に行って物資を運ぶなど、いろんな用件を受けていました。要望はいろいろありますから。ところがガソリンが無いですから、車を使うような要望には困りました。
一番困ったのは津波に流された方のご遺体が見つかっても、それを火葬場まで運ぶガソリンが無かったことなんですよ。自衛隊から、ガソリンがないから、ディーゼル車を借りようということになって、2トン車のディーゼル車があったわけです。乗用車のバンだと、1体ずつしか運べないけれど2トン車だと複数運べるのです。燃料は軽油です。
次はこの軽油をみんなでなんとかしようと。それで、トラクターなどの農機具から抜いて、車に入れて、ご遺体を運んで火葬することができたんです。それはほんとうに情けなかったね。花一輪ないんですから。何にもない。可哀想でしたね・・。
昔からの井戸が自宅の下の方にあったんですが、4月7日ごろの2回目の地震で、水質が変わってしまって塩っぱくなって、飲めなくなったんです。海のそばだから管に亀裂か何かが入って、そこから海水が入ったんではないでしょうかね。今はもう塩気も薄くなりましたが、当時は洗濯に使うと乾くと塩が出るほどでしたね。

「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ

3.11被災

昭和35(1960)年チリ地震のとき、私がいたのは歌津だから、海は若干潮が引いたのは覚えてますよ。小さい頃でしたから、親たちが「海さ行くなよ」と言ってたのは記憶があります。志津川が大きな被害を受けたというのは後でわかった話だね。歌津地区はぜんぜん被害がなかったですから。
3月11日の震災当日、私は議会の最終日で登庁していました(※町役場本庁舎の2階が議場。防災庁舎は隣)。
実は、2日前の3月9日、津波騒動があったんです。高さが50センチで大したことなかったんですよ。2日後の11日の夕方2時45分ごろ、町長の議会閉会の最後の挨拶のときに地震がきたんです。すごい強さの、とんでもないのが来たなと思いました。みんなで机の下に隠れてました。
すぐに揺れが収まったんで、仲間と2〜3人で階段をすばやく駆け下りました。その時、普段議場にいるときに履いているサンダルを、皮靴に履き換えたのが本当に良かったんです。外に出ようとしたら、議会事務局の職員の女性が震えてしゃがんでいました。「いくべ、立て!」と手をつかんで引っ張り出しました。彼女を外に出して、「とにかく逃げろ」と言いました。
職員はかなりの数が庭にいたし、締め切りを控えた確定申告のお客さんもたくさんいましたから、そこに向かって「大きな津波が来るから逃げろ!!」って叫んだんです。後で、「あの時、あんたが逃げろって大きな声出さなかったら、助かってなかった」と、そこにいたお客さんたちに言われました。
自分が駐車場から車を出した時に、同僚の議員や、引っ張りだした女性がまだそこにいたので、「逃げろよ!」と言ってから逃げました。ところが、結果的にはその女性は津波に流されたのです。あの後、同僚の職員が誰も来ないからって、また庁舎の2階に上がったらしい。だから議会事務局の4人はみんな流されて死んでしまった。彼女は近くの駐車場に自分の車があって、まさかまた2階に上がって行こうとは夢にも思いませんでした。今考えると無理にでも車に乗せて走っていけば良かったと思うことがあります。お子さんのいる方で、写真を見て、言葉が出ませんでした。
ある職員などは津波に巻き込まれ、流されたのですが、目の前に畳が流れて来て、その畳にすがって助かったというのです。そのまま何キロも上流に押し流されて行って、今度は強い引き波で戻され、たまたま病院の4階だか3階だかにたどりついて、そこに人が一杯いて助けられたそうです。
今ではサーフィンしてきたんだな、なんて冗談にできますが、「その時はどうだった?」と様子を尋ねても「何にも覚えてない」と言っていました。またある人は、防災庁舎の上に逃げたけれど、津波の力がすごくて、掴まりきれずに流されてしまったのですが、どこかの鉄のパイプに足が挟まって止まり、助かったのです。生死の境は紙一重なんですね。それが何なのかはわかりません。
ここ南三陸は気仙沼と広域行政っていうのがあって、消防・救急を、共同でやってるわけです。震災後、そこに台湾の団体から3000万円の寄付が来たことがありました。なぜ台湾からわざわざ?と尋ねてみると、実は、防災無線で最後まで放送した遠藤美希さんの話を台湾の人が耳にして、心を動かされたので、防災面で使ってください、ということで寄付したというのです。その後、野田総理の所信表明演説でも彼女の名前が読み上げられましたね。
今にすれば、涙なくして語れない部分って言うのが沢山ありますよ。津波の前では、本当になんともならないことがあるのです。助けられず、目の前で沈んでいった方々も多くいるわけですよね。そのショックも大きいんです。実際にその場にいた方は、言葉には出しません。ほとんどの人は、巨大津波に対する経験がないもんだから。
防災庁舎で行方不明者が今も30数名で、町長などが生き延びたことで、「偉い人から高いところへ登ったのか」という声も聞こえますが、みなさん助かりたいって気持ちは同じだったって思います。防災庁舎がたまたまそんな場所にあって、波もすごかっただろうし。

歌津に帰るまでに津波が来ると思ったから、避難所になっている高台の慈恵園という老人養護施設に車を走らせました。慈恵園に着くと、雪が降っていました。
デイサービスを受けるのにお年寄りがたくさんいたので、職員が、寒いからと、その方たちに毛布かけたり布団掛けたりしていて、手伝っていました。寒いからにテント張ろうということになって、組み立て始めて、海のほうを何気なく見ると、「バリバリ」とか「ゴロゴロ」とか、最初雷かと思うような音が海からしてきました。黒い海から赤い煙がガーッと出た。
そして、こちらにだんだん迫って来たんです。火じゃなくて赤い煙が迫ってきたんですよ。屋根が浮いて来たから、「あ、これは津波がくる!! 逃げろ~!!」って叫びました。職員は「えっ? こっから逃げるんですか」なんて言ってる。
「そうだ、津波がここに来るから逃げろ」
そこから、職員もヘルパーさんも慈恵園から車いすを一斉出して何十人と移動を始めました。みなさんが非難して、自分も逃げ始めましたが、津波がどっちから来るかわからない。たまたまそこに行政区長さんがいたから「どこでもいいから逃げろよ」って声をかけました。そしたら、「山、山」って。裏山に逃げろってことですよ。杉山。
その山が足元が滑るわ、穴が一杯開いてるわで、だから皮靴に交換して良かったんです。あの山はサンダルなんかじゃ歩けない。目の前を女性職員が2人いたはずがいつのまにか1人が歩いていないんです。ぱっとみたら腰を抜かして、木の根っこに倒れてしまっている。「波来てんだから立て!」と言っても立てないのです。「死ぬぞ」っ馬鹿力を振り絞って立たせて逃げたんですよ。今でも腕が痛いんです。その女性がスリムでなかったもんだからさ、ちょっと重かったんだな(笑)。
ここでは、他のデイサービスの施設にも津波が来て多くのお年寄りが流されました。でも、高校生が結構助けたんです。手と手を繋げて助けたんですよ。先生は「危ないからやめなさい、やめなさい」と言うんですが、生徒たちはその現場を見てるから「助けねばならねえ」ってじっちゃん、ばっちゃんを助けようとしたんですね。それでお年寄りが何人も助かったわけです。
ところが、その方たちが今度は、低体温症でみるみる死んでいった。そのショックが生徒たちには大きかったんです。「助けたのに・・」って。で、目の前にその時の現場が見えるから、しばらく「学校に行きたくない」という子たちもいたのです。

「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ

歌津・名足伝統の剣道

中学校は歌津中学校。中学校の時は、剣道部に所属し、一生懸命やった思い出がありますね。
剣道は結構打ち込んでいて、子どもたちと一緒に25~6歳まで続けていました。三段までとりましたね。結婚してからやめています。漁協の職員や公務員などをしている30代から80代までの人は剣道をできる時間的余裕があるわけなんです。だから私も長く続けられたんです。漁協を退職してしまうと、もう剣道をやる時間がなくなってしまいますね。
剣道には大会がいくつかあります。選手権とか、県大会とか郡大会とか。私は県大会に、この本吉郡を代表してよく出てました。優勝すれば全国大会に出られるんですが、本吉郡の人が少ないから代表やれたんだけ(笑)。
歌津の名足地区は剣道が盛んなところです。今でも子どもたちは有志の「少年剣道会」っていうのがあって、そこに行って鍛錬を積んでいますね。彼らは毎年夏に、日本武道館で開催される「全日本少年武道錬成大会」に行っていますよ。日本武道館元館長(昭和40年代ごろ)の、三浦英夫さんって言う方が名足のそばの部落のご出身で、そのつながりで参加できるようになったと聞いています。

「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ

地域の神社とお祭り

私の住んでる地区は、昔は年に2回、春と秋、今は旧暦の10月19日に地域の祭典日があったんです。しかし、今回のこの震災で、地域の神社の宮司さんが不在になっています。歌津には宮司さんが2人いらっしゃったんです。田束山(たつがねさん)を信仰する宮司さんと、うちの方の八幡様の宮司さんが。私たちは八幡様の氏子なんだけど、そこの宮司さんがいなくなってしまったんですね。
お正月には、神棚に飾る幣束や「きりこ」を、宮司さんがみんな切って氏子に渡すわけです。だから、宮司さんが見つからなかったら今年のお正月はどうすんだろうなって思ったんです。
神職と教職を兼ねている人は多いですよ。お寺のお坊さんは、檀家が多ければそれ専属で生活できるわけです。宮司さんなんて氏子がいてもそれで生活できないでしょ。宮司さんの仕事なんて地鎮祭とお祭りとか、年に何回しかないんだから。これから宮司さんをどうするか、氏子は今悩んでるところなのです。今は他の地区の宮司さんにお願いする方法しかありません。宮司さんになるのは、お寺の和尚さんになるより難しいということでした。
「いや、誰でもできんだ、テープレコーダで音を流して、ダンダン、ダンダンって。烏帽子をかぶってやればいい」と冗談でそんな話もしていますが、本当に宮司を務める人がいなければ、ただあの、お正月のお飾りができないんです。都会と違ってわれわれは海と神様と深いかかわりを持って生活してきたんですから。
氏子も、昔は神社に何度も奉納する機会があったわけですが、今は単なる神社を回っての打ち鳴らし、要するに、神楽です。宮司さんの鳴らす太鼓は神楽の太鼓なんです。私自身、神社ではありませんが、青年団で神楽をやったので、ある程度の知識はあるんです。当時ある地区の郷土芸能を伝承しようということで、若い連中5〜6人を集めて、神楽を習いに行ったんです。そして、青年団で芸能部門で県の文化祭に参加して神楽を披露し、優秀な成績を収めたこともあります。
うちの部落で神社は3つあるんです。八幡神社(はちまんさん)ていうのは、各部落にあるもので、そのほかに白山神社、愛宕神社。祭りの時はお神楽で、その3箇所を回ることになっています。神社は、建てる位置も「田束山から見て南南西になんぼ」とか、角度が決まってるんですね。詳しいことは分かりませんが星回りなどが関係しているのかもしれません。

「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ

半農半漁

うちは親父の代から半農半漁でした。親父は私が15歳のとき、44歳で亡くなったんです。母は今80歳。元気に農業やってますよ。ホウレンソウを蒔いていて、今日も畑に出掛けていきました。もうね、動いてなきゃだめなんですね。週に1回は熊谷流の踊りに行ってますね。好きなんだね。
この踊りは、公民館主催で社会教育の関係でやっているんですが、80歳になる人が、老人ホームの慰問に行くんですよ。自分が慰問される歳なのに、「慰問に行ってくるわ」って出かけていく。あんまり元気なんで、私の方が先にあの世に逝っちゃうかも知れない、と思うことがあります。母には「順番間違えんなよ」と言われていますが、こればっかりは分からないですね(笑)。

「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ

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