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私の父、お父ちゃんは魚屋さんでした。大谷には「大網(マグロ・イワシ・サバなどの回遊魚を捕らえる目的で、あらかじめ海中に建て込んでおく定置網に近い仕掛け網。入りくんだ岩礁地帯が続き、海藻類が多い本吉地方沿岸では盛んに行われていたという)」というのが3丁目と日門にあって、朝2時頃沖へ行って4時半頃にはお魚をいっぱい獲って帰りました。その網からお魚を買って自転車に積んで売りに行くのが父の仕事でした。
お父ちゃんは、米川(宮城県登米市東和町、内陸部にあたる)くらいまで売りに行っていました。魚箱を2つ積んで自転車で1時間くらい。行きは上り坂だから、家の人が付いて行って自転車を押してね。子どもたちを2人くらい連れて行きました。一生懸命働いたお父ちゃんでした。行商です。商売相手は個人のお客さんでした。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
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