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ごはんはね、麦を一杯食べました。そこに米を混ぜて、それでも量が足んなくて大根を足したのね。なんていうの、カテ(いわゆる「かてめし」のこと)っていったのかな。とにかく鍋に麦も、大根も入れて、そこに米も入れる。だから、米だけ炊くんならば簡単だけども、そういうのも入れっからね。あの頃と今は、本当に変わったね。麦なんか見あたらないよね。なんであんなに麦食べたんだろうねぇ。米と麦、どっちが美味しいって、米が美味しい! 米はお正月だけ。米のごはんはお正月だけで、その他は、お盆におこわなんかするからね。今の人たちは、おこわなんか珍しくも何も無いのにねえ。
「お正月はいいもんだ 雪のようなご飯食べて 油のような酒飲んで お正月はいいもんだ」 だっけか。そういう歌があったんだよな~あ。
(お正月の歌は口伝えで伝承されており、いろいろな歌詞があるようです)
ずっと昔は、酒っこもお正月しか飲まないんだよ。普通には飲まない。それはずっと昔の事だよ。今は、子どもたちも私も弟たちも、よそにてんでに(ばらばらに)暮らしてるから、寄る(集まる)というと、みんな酒っこが好きなの。だから私もおすばて作りに来い来い、っていうけどもね、話の相手はさっぱり。飲むことばっかり(笑)。
あっ、餅が一番ごちそう。餅が一番のごちそうなの。なんか喜びごとなんかがあると餅つくのね。それが一番のごちそうなの。あとはお正月は、粟餅だの、小豆餅だの、いっぱい作るんだな。餅もちつくとき米だけでなく、そういうのを入れたんだね。お正月じゅうお昼には餅焼いて食べたんだな。
お米食べるようになったのは、この頃でねえっぺかなあ? いつ頃か忘れたよう。ずっと昔のことは覚えてんけどね、今のことは忘れるの。あらあらあら。
だけんども、子どもが田束山さんの遠足だの、お祭りだの、どっかさ行くといえば、みんながするように、おにぎりさ梅干いれて白いごはんを食べさせたけど、ふつうは麦が入ったの食べたね。
お米は食べられたと言っても、いろいろなものを混ぜて食べました。麦ばかりじゃなくて大根の葉の干したものや、ひじきご飯とか、サツマイモのご飯だとか、いろいろです(かて飯)。食べ物が本当に無い時代でしたから、学校のお弁当にはサツマイモを蒸かしたものや、きんとんを持って行きました。
きんとんってわかる? じゃがいもを煮て、皮を取ってすりこぎで潰してね、家族が多いから、お餅をつく臼に皮をむいたじゃがいもを入れてペッタンペッタン潰して少し粘りを出してから丸めて、花みたいにひねって格好をつけて。砂糖が無かったから先っちょに味噌をつけて、それを弁当缶に入れて持って行ったりしました。
家で畑もしていたから、小麦を蒔いて、小麦の粉で今ならホットケーキみたいなのを焼いて食べたりもしました。
砂糖といえば、戦後、小学校5年生くらいになると砂糖の配給がありました。その砂糖も、ザラメみたいな、目の細かいザラメって感じで、そこに毛布や南京袋のクズみたいなのが混じっているようなやつ。今なら大騒ぎでしょうね。その頃一緒にとうもろこしの粉も配給になったので、やっぱりお菓子を作ったね。作ったお菓子に砂糖をつけて食べて・・・。いろいろな代用食も作りました。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
結婚式の時は、かつらではなくて、自分の髪で高島田を結いました。今は年をとって髪が薄くなったけれど、元は髪もあったから、髪結いさんに来てもらって、自分の髪で結って振袖を着ました。旦那さんは羽織袴です。ご親戚だとか兄弟だとか皆集まって寄って、うちうちでお餅をついて、それが一番のごちそうでした。昔はホテルでないからね。
子どもの頃の楽しみといえば、やっぱり食べることなんですね。お腹がいつも空いていましたからね。山へ行って、くわご(桑の実の方言)とか、後は、茱萸(ぐみ)を採って食べるのが楽しみでした。
自然の恵みが多いとかそういうことではなくて、子どもの人数が多くて、皆が採るから競争みたいなもんですよ。当時は1クラスが40~50人。3組あって1学年150人くらいでした。
海にも、行きましたよ。潜って、タコを獲ったり・・。
そういうふうに遊んでいると、お腹が空いたり、喉が乾いたりするから、途中の畑に入って大根があれば、ちょっと無断で大根を頂いて食べたりしました。大根はね、土から顔を出している青い部分が甘いんだよ。お天道さまが当たっているところが青くなるでしょう? そこが甘いんです。で、そこを食べると美味しいの。下は辛いから・・。そういう時、犯罪意識とかそんな大げさなことは考えませんでしたね。今とは感覚が違いますね。とにかく、背に腹は代えられないと・・。
品種改良が進んでいないから、野菜なんかも今とは違います。美味しいというのが少し違うと思います。この辺は、梨とかリンゴもあまり無かったね。今は、ドンドン品種改良が進んで、種なしブドウとか出ていますけれど、当時喜んで食べていた物って、今ではあんまり売れないんじゃないかな?
柿は、当時からありました。甘柿と渋柿とありますね? 甘柿というのは、まだ木になっている青いうちから甘いんですよ。だから、そういうのは見逃しません(笑)。1つ無くなり、2つ無くなりしてね・・。その柿の木のある家の人たちの口には、ほとんど入らなかったと思いますよ。
「お正月は、お餅!」って思うだろうけど、お米がある人たちばかりじゃないから、もち米ばっかりじゃなくて、色々なものを混ぜて、豆を入れて豆餅とか、よもぎを混ぜて草餅とか。今は、わざわざそういう物を入れたほうが美味しいなんて言うけどさ。
で、もち米にうるち米(普段食べているご飯のお米)も混ぜるから、粘りのない餅になるんです。焼いても、食べると「ぼっきらぼっきら」って。ウチの弟は、「うる米餅はいらない」なんて言いました。ウチの弟だけじゃないけどね。
戦争中は物が無かったから、私の家は農家だから、できたものは皆で分けっこして、買って食べようと思ったことはありません。自分で採った物を少しずつ皆で食べました。分けてね。果物はその時分は、山で木の桃を採ってきたり、いろいろなを植えたりしました。当時は、「何々を食べたい」とかは、思いませんでした。
お母さんは、一生懸命お努めして、子どもたちに食べさせてくれました。干し柿は、そのままでは食べられない渋柿を食べる調理法の工夫だね。皮をむいて干すでしょう? 干して、粉が上がったら、裂いて大根おろしにしたり、さつまいもだって干して干し芋を作ったり、生の柿を潰して粉を入れてかき餅にして食べました。
米を炒って香煎みたいにして食べたこともあります。蕎麦粉に味噌と出汁を入れて、鰹節なんかも入れて練って囲炉裏で丸く焼くんです。家で採った蕎麦だから美味しいの。朝早く起きて、おやつになるように作って、あれも美味しかった。
なんでもやりました。今、買って食べるのは昔のと味が違うね。自分たちで採って、自分たちで手作りです。
後は、サトウキビ、沖縄で売ってるね? ああいうのも、私たちも作りました。あの時分は砂糖もないから、切って煮出してザルにあげて、その汁を煮詰めるんです。1キログラムの水を200グラムくらいまで煮詰めるんです。そうすると甘味がウンと出てくるの。そういうので、お正月にお餅を食べたりしました。皆で少しずつ分けてね。買って食べるということがないからね。
肉って言うのはめったに口にしませんでしたね。クジラの肉は食べましたよ。その他はたまに、卵を産むのに飼ってる鶏をシメたこともありました。
漁に出ると、黒い海鵜(うみう)がエサを狙って寄ってきて、延縄(はえなわ)にかかるんですよ。その羽をむしってカレーライスに入れてみたら、その肉が真っ黒で臭いんだ。美味しくなかったですねえ。でも肉には違いない。美味しくはないと言っても肉だからね。私たちが昔食べた肉というのは、そういうものでしたね。ジンギスカンとか豚肉なんていうものを口にするようになったのは最近ですね。子どもの頃は肉を食べることをしないから、初めて牛肉を食べたときは、それが鳥の肉だか牛だかも区別がつきませんでしたね。
私にとってのご馳走ってなんでしょうね。誕生日を祝うなんて習慣は田舎にはないですから。一番の大好物は稲荷寿司で、これが一番のご馳走だと思ってますね。ちらし寿司よりもお稲荷が好きだったですねぇ。子どものころから今だに(爆笑)。運動会や学芸会の時は、必ずお稲荷にしてもらってました。こういうことを言うと、自分の子どもたちにも笑われましたけど(笑)。昔は稲荷寿司の皮が缶詰になって売られていたんです。寿司飯は作るんだけど、皮だけは缶詰を買うんです。いまは、袋に入ってるでしょ? これがメーカーによってぜんぜん味が違うんですよ。あるメーカーじゃねぇと口に合わないというのがあって。いまは自分のところで煮ますが、やはり缶詰の方が美味しかったと感じますね。お祭りの時も稲荷寿司かって? お祭りのときは稲荷寿司じゃない、お餅ですよ。
私たちは、蕎麦だって、とうもろこしだって、みんな作ったんだから。粟もヒエも。で、戦争中は「かてご飯」って、豆を入れたり、大根の葉っぱを干して刻んで、炊きこみにしてね。大根の茎からね、栄養にもなるし。今だって食べるには食べられるのよ。今だってやればやれるのよ。ご飯でもなんでもね。粟だのヒエだのは、お餅に入れてね、米がないから、白い餅って食べたことがなかったの。
お正月なんかは、米を挽いて粉にして餅にしてね、それが一番豪華でした。後は、よもぎを採ってきて干して擦って粉にして、それもまた米に混ぜて、もち米に混ぜて草餅にして、そんなのは一番豪華でした。食べられない人もいる時代です。それを作って皆で一緒にね、食べたんです。本当にいろいろなことをしました。今の草餅は色で入れたりして、本当の草では無いからね。
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