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昔は、海苔のことを「ウンクサ」って言ったの。「運の草」であると。「バンジョ」っていう市場にあるようなカゴでいっぱい海苔を採ってね。入れても入れても、いっぱい溜まるんだな。それでうちの父さんが身上を上げたのさ。
だからね、今でも海苔やる人たちを手伝いながらそういう話をしたいと思うときがあるよ。そのくらい、海苔というものはありがたかったんだよ。
でも、大東亜戦争が始まる前は、食べるものに困ったね。それで山の開墾もしたの。どこでも終戦になってみな開墾したけども、父さんは30歳過ぎてから初めて百姓仕事をするようになったんだ。だけど、父さんは何でもできる人だった。今のように機械の力でやれば短時間でささっとできるけど、今から60年も70年も前の話だから、そのときはそんなものはなかったからね。漁業も、農業も、鍬頭(くわがしら)(農作業のリーダー)になって、一生懸命やってた。
私たち小さい子どもも一緒になって、木の根っこを運ぶのを手伝ったり、一生懸命手伝ったんだよ。
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