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昔は子供がお使いに行くのが普通でした。お店に入る時は、「もうし~」って言いながら入って行きます。もらうっていう意味と買うって意味もあったんでしょう。店の方でも心得ていて、何を買いに来たかっていうのは、もう店の方で知っているんです。子供がモジモジして行っても、分かってくれますし、親がお金を持たさないで使いに出しているのも分かっていたんです。例えばいつも買うお醤油や味噌を一升瓶に五合など、みんな、そこの家の家計も内情も知っているという感じで見計らってくれるのです。だからみんな、お店の人に持たされて帰ってくるという感じでした。
そのようにして帳面につけておいてもらって、盆などに手間どりした勘定が出てから、まとめて支払う、それが普通だったんですね。
家は百貨店みたいなものをやってたから、余裕があったんですね、兄弟みんな、学校にいれてもらいましたから。何でも売ってた。うちの親父、及川清吉が明治ごろ創業したんです。親父はここ歌津の出身で、石巻の呉服屋あたりに修行に行って、ここを開業したわけですよ。親父は高橋家に婿養子に入ったんです。
高橋家っていうのは、商売はやってなかったようで、それ以前は、ご先祖は医者だったんだが、後継ぎがなくなって、百姓になったらしい。その長男が東京に行って、辻(つぢ)という婦人と結婚したのち、台湾巡査として台湾に渡ったんだが、数年後に病気で亡くなった。子どもも病気になったので、奥さんは子どもを連れて伊里前の高橋家に帰って来たわけです。それで、新しい旦那さん、つまり、ここで呉服屋の番頭をしていたうちの親父を見つけて結婚し、奥さんがいっぱい持っていた持参金を基にして開業したのが始まりです。
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