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志津川の養父母の酒屋は、志津川で製糸工場が倒産して、その経営者の家屋敷を買い取ったのが始まりなんです。90年くらい前の話ですが、1000坪ぐらいあろうかという相当なに大きな屋敷だったんです。当時うちの養父(おやじ)がね、德陽無尽(のちの德陽相互銀行)っていう無尽会社の下請けをやっていたので、周囲の人たちと、共同でその家屋敷を無尽にかけてて、その金で興業銀行から買い取ったんです。そしてうちは一番広い面積、約390坪を買い取りました。そしてその年から後、ずっと酒屋をしていたんです。だから、100年近い歴史があったんです。
ところが、その家は一度昭和12(1937)年の志津川の大火で全焼してしまったんです。大火で残ったのは、40坪の広間だけでした。それを私たちが母屋にして、酒屋をその前に出して再開したんです。ちょうどそのとき、養母は大学病院に子宮筋腫で手術入院していました。私たちが酒屋の商売を再び始めたころ、やっと大学病院を退院しました。
酒屋の屋号は「カクヤマ」です。由来は、養父がこの酒屋を買う前、德陽の無尽をやるもっと前に、登米の旅館に勤めていた時代にさかのぼります。登米市でも2、3番の金持ちで、酒や醤油を造っていましたが、養父はそこで何年か勤めてたんですね。そしてのれん分けしてもらったんです。そこの苗字が山田というので、「カクヤマ」となったわけです。残念ながらみな潰れてしまいましたが。
うちの2階には、かつて德陽無尽が事務所として借りていたことがあります。その後、敷地内の庭に事務所を建てて、養父(おやじ)がそこで働きました。家を改造するときに取り壊してしまったんです。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
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