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やがて戦争が激しくなると、今度は労働力としての「徴用工」でなく、「少年兵」として徴兵されました。その頃は、国民学校の高等科の頃から、男の子は下士官を志願し、1年生を終えた時点で補充兵として徴用されていく時代でした。軍隊に入ると一番下の階級の2等兵になり、一等兵、上等兵、兵長、伍長、軍曹、と階級が上がって行きますが、伍長・軍曹までは実戦の時には居場所が悪くて敵に狙われやすく、すぐに殺されてしまうような存在でした。
私の隊は最初に九州に行きましたが、2週間ほどで移動命令が下り、大陸に渡ったのです。徴用した漁船で博多から朝鮮に渡り、貨車で満州・山海関を通って香港に行き、広東の中山大学に集結し、仙台84連隊第12中隊に入隊しました。そこで作戦が始まりました。入隊した隊は「泣く子も黙る原兵団」といって、冷酷な作戦部隊でした。その中で、私たちは先遣隊として、犬を連れて敵がいないか確認する役割でした。部隊に割り当てられた軍用犬は6頭いました。班長は軍曹で、私はシェパードの「オルモ」に餌をやったり、洗ったりはもちろん、犬小屋があるわけではないので、寝るときには腰にリードをつないで軍犬と一緒に寝起きするのです。軍犬は人間よりも良い缶詰を餌として与えられるので、軍犬係の中には、空腹に耐えかねてこっそり犬の餌を食べてしまうものもいました。逆に犬が死んで自分が助かった兵もいました。
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