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この辺のお祭りは、小泉八幡様のお神輿ですね。9月10、11日にやったんですよね。その神社には、たまたま津波が乗らなかったので、30年ぶりにお神輿を担いだんです。担ぎ手がいないので、最近は人が担ぐんじゃなくて、トラックに乗せて回ってたんですよ。結構重いですし、20人はいないと代わる代わる担げないんです。
だから、ボランティアの人たちにも、今回は助けられたかなと思います。地元の人もみんな喜んでいましたね。
私自身は、子どものころのお神輿の記憶はなくて、父ともそんな話にはなりませんが、たぶん、地元の青年部にいたようなので、お神輿を担いだと思いますよ。
蔵内地区には、子どもたちの虎舞っていう太鼓があって、子どもたちは叩けるんです。
うちの実家のあんちゃん(奥様のお兄さま)は須賀神社の平磯虎舞(天保時代から受け継がれている。打ちばやし独特の勇壮なリズムと繊細な舞いが見もの)っていう郷土芸能で太鼓をやったんですよ。平成3年、それで全国青年大会で最優秀賞を取りました。
小泉は3つ部落あんのさ。『浜(はま)(蔵内、二十一浜)』、『町(まち)』、『在(ざい)』と。それから4月8日には、『在(ざい)』の御薬師(おやぐし)さまのお祭りをしたんだね。
8月の13日は、『町(まち)』の八幡様、普通は8月15日に八幡様のお祭りをするけども、『町(まち)』は、なんだか早めに13日にするので、「早稲(わせ)八幡」というんだね。今は勝手に日曜日にやるけどね。9月15日には『浜(はま)』の御天皇(ごてんのう)山のお祭り。そんなのは覚えてんだよねえ(爆笑)。そんな昔のことはよく覚えてるんだけど、今のは忘れるんだよねえ。本当におかしいね、今のことは忘れてんだから。
小泉の虎舞はうちの子どもたちも太鼓叩いたし、孫もやるから、20年以上前からだねえ。
そして御天王山(ごてんのうさま)の獅子舞を、虎舞の後にやるようになったの。それを見て、ちゃっこい(小さい)サヤ(お孫さんの名前)が泣いて、泣いて。踊りだすというと虎が動くんだ。そうすっと「おっかねえ、おっかねえ」って泣いて泣いて。歌生(うとう)(本吉町歌生)のお祭りの獅子舞は最近出てきたけんども、小泉のお祭りのは昔からずっとあったのかな。そして、子どもたちが太鼓叩きに行ったのね。
平磯の虎舞はとても盛んで、中国だのなんだのにも公演に結構行ってるってね。
私が子どもの頃には虎舞なんかなかったし、獅子舞もなかった。
私が子どもの頃のお祭りは、風船を膨らましてバァーっと鳴ったり、そういう売り物がいっぱい出たの。お金をもらって、なんか売り物がなんでも、買うのが一番嬉しかったの。うんうん。そのお祭りよりも、その買うのが面白かったんだねぇ。
その頃は、子どもは太鼓を叩かねえの。叩きたいとは思わない。叩くのは全部大人だったの。男だけ。笛も吹いて、その笛さあわせて太鼓を叩いたんだね。今はどこでも、子どもが叩くね。
私が東京に奉公に出て、こっちにいないとき、そうすっと昭和12~13(1937~8)年ごろだね、そんとき、ここで踊りなんか教える人は、誰もいなかったの。そしたら、堤防の石垣作る人が、米川(登米市米川)のほうから来て泊まって、ここの学校の子どもたちに踊りを教えたんだって。その踊りを今もやるんだってよ。
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