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戦争中は物が無かったから、私の家は農家だから、できたものは皆で分けっこして、買って食べようと思ったことはありません。自分で採った物を少しずつ皆で食べました。分けてね。果物はその時分は、山で木の桃を採ってきたり、いろいろなを植えたりしました。当時は、「何々を食べたい」とかは、思いませんでした。
お母さんは、一生懸命お努めして、子どもたちに食べさせてくれました。干し柿は、そのままでは食べられない渋柿を食べる調理法の工夫だね。皮をむいて干すでしょう? 干して、粉が上がったら、裂いて大根おろしにしたり、さつまいもだって干して干し芋を作ったり、生の柿を潰して粉を入れてかき餅にして食べました。
米を炒って香煎みたいにして食べたこともあります。蕎麦粉に味噌と出汁を入れて、鰹節なんかも入れて練って囲炉裏で丸く焼くんです。家で採った蕎麦だから美味しいの。朝早く起きて、おやつになるように作って、あれも美味しかった。
なんでもやりました。今、買って食べるのは昔のと味が違うね。自分たちで採って、自分たちで手作りです。
後は、サトウキビ、沖縄で売ってるね? ああいうのも、私たちも作りました。あの時分は砂糖もないから、切って煮出してザルにあげて、その汁を煮詰めるんです。1キログラムの水を200グラムくらいまで煮詰めるんです。そうすると甘味がウンと出てくるの。そういうので、お正月にお餅を食べたりしました。皆で少しずつ分けてね。買って食べるということがないからね。
私たちは、蕎麦だって、とうもろこしだって、みんな作ったんだから。粟もヒエも。で、戦争中は「かてご飯」って、豆を入れたり、大根の葉っぱを干して刻んで、炊きこみにしてね。大根の茎からね、栄養にもなるし。今だって食べるには食べられるのよ。今だってやればやれるのよ。ご飯でもなんでもね。粟だのヒエだのは、お餅に入れてね、米がないから、白い餅って食べたことがなかったの。
お正月なんかは、米を挽いて粉にして餅にしてね、それが一番豪華でした。後は、よもぎを採ってきて干して擦って粉にして、それもまた米に混ぜて、もち米に混ぜて草餅にして、そんなのは一番豪華でした。食べられない人もいる時代です。それを作って皆で一緒にね、食べたんです。本当にいろいろなことをしました。今の草餅は色で入れたりして、本当の草では無いからね。
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