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この辺の葬式は、まずね、誰かが亡くなると、班長さんが「集まってください」って声をかけて、みんなで集まって葬儀の日取りを決めるわけです。だいたい葬式って友引にはやらない。それから4日目も死につながるって嫌うんです。そうするとだいたい5日目くらいになってしまいますね。
そのあとはやっぱりみんな手伝いに来てくれて、喪主と遺族はもちろん祭壇の前にいないとダメで、弔問客の対応だし、男の人たちはいわゆる葬式に使ういろんな飾りものとか何かを作ってもらったり、あとはテントを張って受付をして。女の人は食材を用意してゴハンを作って、弔問客にお茶出して。毎日大変です。
今は亡くなってから3日くらいで葬儀まで終わらせることも多くなってきたけど、昔は5日くらいかかっていましたね。喪主なんか寝る暇ありません。親父のときは、私が喪主で、ちょうど日曜日だった4日目にやってしまったんですが、それでも大変でした。
人が亡くなると、朝から買い物と称して座りこんで必要なものを買っていくんです。小さい時からそれを入れる箱を作ったんだけど、一式、木地蔵、(死出の旅に出る)わらじ、「死人(しびと)もの」と言って、亡くなった人が着る衣装のさらし木綿の反物などの一切をうちで売ってたんですね。昔は人が亡くなると、「みんな縫い物に来てください」ていって、死に装束を縫って着せてやるんです。
そんなわけだから、歌津全部のどこで誰が亡くなったというのが、うちではすぐわかるわけですよ、役場の次ぐらいの速さで。
商売をうちでやってたときには、家族みんなでご飯食べたことはなかったですね。お客さんがひっきりなしに来たりなんかして、忙しかった。このあたりには1軒か2軒かしか店がなかったらしいです。
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