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若いときは、今のように炬燵もないし、ストーブもないんだ、どこのうちにも。お天道様が当たらなくても着るものいっぱい重ねて着て冬は過ごしたし、あとは暖かくなれば働きに出たわけね。ずいぶん働きましたね。
魚の加工場は働く場所同じだったけど、季節で魚が変わっていくから、先輩について教わってね。働いたわけね。夏はカツオ。秋はサンマね。あとはその間にはいろいろあったのね。ワカメとかね。あとは海岸伝いにずうっとアサリが獲れたし、カキや、どっか海苔を採ってきて食べたり。
車のある人たちはみんな舞根の方までカキを獲りに行ったんだが、私はこの辺でアサリを獲ったんです。塩水までペットボトルさ入れて、この塩水で一晩砂ふかせて食べるんだぞ、なんて言って、アサリと一緒に塩水まで持たせたりしたもんだ。その塩水で、アサリが見事につの出すの。
真冬はね、縫い物とかね。お正月の準備はそれぞれその家その家によって家風があるからね。教わって男の人はおかずにするとか、女の人はおせちね。いまだら何万出せば高価なのを買えますよね。それをなに、ここはアワビもあれば、ね、タコもあればね、なんでも魚はあるし。そして食べたもんです。
今思えばね、ほんとに、子どもだったのね。あんたがただって、こういう方と結婚したいっていろいろあるわけでしょう。今のように公務員のところにお嫁に行きたいとか、こういう職業を持った人と結婚したいとか、そんなことはわからなかったの。私は、こんな風に思って暮らしたの。私、牡蠣、大好きでね。いっぱい食べられる舞根(もうね)にお嫁に行きたい、ってそんなこと思ったのね。舞根に行ったら牡蠣いっぱい食べられるな、舞根にお嫁に行きたいな、って思ったのね。
で、あるときに「ワカメの芯抜き」って、ワカメをいっぱい重ねて、芯を抜く作業があったんですよ。10人くらい並んで作業するんです。舞根から来たお嫁さんが来てて、その人とお話したいと思ってたんです。でも、なかなかできなくて、その日ついに隣に来たんです。
いろんな話をしていると、「今頃なあ、おらの母ちゃん、牡蠣剥きにいったべなあ。朝、お婆さんに『いつまで寝てるんだ! みんな船乗って牡蠣剥きにいったんでねえか。早く起きろ!』って2時に起こされるんだ」「ええ~。夜中の2時に?」「うん、2時に。起こされて牡蠣剥きに行くんだ」「この寒いのに?」「んん、この寒いのに2時に行くんだ」それ聞いたとたん「ああ、舞根に行かなくてよかったぁ」って(笑)。とても2時に起こされても勤まんなかった。
お嫁に行ったのは戦後、21歳の時でしたが、その頃も食べ物はあんまりなかったね。でも実家では田んぼもあったから、親はよそに嫁に行った私を案じたって。「私らはこうして食べるべなあ、小鯖さ嫁に行った娘は、何食べさせられっぺなあ、心配したぞう」って。親だもんね。でも、私は「ここでは、こういうもんだ」と思って暮らしたのね。「実家さ行って食べたい」なんて思わないよね。あきらめたのね。
「かてごはん」を食べるからすぐお腹がすくのね。もうすこし食べたいと思ったってざくざく、ざくざくというご飯だものさ、10人で食べるんだもの。もっと食べたいと思ったってもう、鍋にない。
あんなの食べれば、今頃スマートなのさな(笑)。今は気ままして食べ放題。息子が来るたびね、「あんた、また太って。ここ(急な坂)上がったり下がったりできなくなったら、わがんねよ(仕方ないよ)」「なんにも、そんなに太んねえ」「なに? その姿見らい(見てみなさい)。でぐでぐでぐでぐ・・また太ったか」なんて(笑)。怒られっぱなしです。手伝ってもらうから「はいはい」って言うのさ。アハハハ。
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