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家に帰って来たところで、戦時中だったから、男の人は戦争や工場に取られていなくて、家に残された女性は一生懸命戦争に協力しなければ、って言ってたよ。女の人は山に行って、松の根っこを掘って、そこから飛行機の部品に使う油を採るって言ってたんだ。そして家に来て不満を言ってばかりだったな。
そのうちに今度は「みんな、軍隊に協力しなければいけなくなったので、気仙沼の鹿折(ししおり)の缶詰工場に行って応援してください」って動員ですよ。勤労奉仕、つまり無料で仕事をするの。でも、だんだん戦争が激しくなってきて、その缶詰工場は艦砲射撃でやられてしまった。爆撃されたときに私は偶然家にいて無事だったの。
命というものは不思議なものだよ。見にいってみると、爆弾が落ちた場所に、4間(けん:1間=約1.8m)ほどの大きな穴が開いてたんだよ。それはもう、たくさんの爆撃があったんだから。そして働く場所を失って志津川の家にいる間に大東亜戦争は終わったんです。
今この仮設住宅にも泊浜(とまりはま)の人たちがいると思うけど、艦砲射撃で泊崎荘(とまりさきそう)のあたりに爆弾が落ちたりして、事故に遭った人もいたよ。でも、今回の津波のような広い範囲の被害でなく、2、3カ所のことで済んだけどね。
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