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小学校3年生までは近くの上沢分校に徒歩で登校していました。小学校4年生からは、伊里前(いさとまえ)小学校へ自転車で通いました。
本校では最初はお弁当でしたが、お弁当を手で隠して他の子に見られないように食べている子がいたのを覚えています。麦飯のお弁当に海苔を一面にベッタリとはって醤油をたらしただけのお弁当などで、見られるのが恥ずかしかったのかな。私自身は、そういう食べ物が大好きだったんですが。
小学校4年生から給食になって、食事の雰囲気は変わりましたね。皆が同じものを食べられるようになったんです。割烹着に三角巾をつけた給食当番が、寸胴鍋を運んで、アルマイトの入れ物に分ける。好き嫌いもできないし、みんなで和気あいあいと食べられることが嬉しかったです。脱脂粉乳が苦手で、飲んでもらう代わりに別の物をあげる子がいたりしました。私は、小学校3年までは先生に注意されるほど好き嫌いが激しかったのですが、そのうち好き嫌いがなくなりました。
それでも淡水魚はいまだに苦手です。渓流釣りは好きなんですけどね・・。
当時は停電になる日があり、その時だけは給食が出ないので、お弁当持参の日というのがありました。その日は、お弁当を持ってくることができなくて外で時間をつぶす子もいて、今でも忘れられないものです。長じて自分が親になり、PTAの役員をしていた時に、保護者が給食の味に多くを注文する場面を目にして、そういう保護者にも給食が出来た理由を知って欲しいと思いました。我々の時代に、子どもの栄養の偏りをなくすためにできたのが給食です。みんなで楽しく平等に食事ができるための給食なんですね。
小学校3年生の時、給食が始まりました。翌年の4年生の時、東京オリンピックを良く覚えています。ちなみに初日の昼食はカレーシチューでした。やっぱり忘れられませんね。なんでも初めての体験ってのは覚えてるもんですね。アルミの食器で出てきました。
給食のカレーは、自分の家のカレーとは全く違う味で、違和感がありましたね。2日目は野菜をマヨネーズで和えたポテトサラダでした。玉ねぎが生で涙が流れましたね。それで、パンでしょ。牛乳は脱脂粉乳だから、美味しくなかったですねえ、温(ぬる)くなると容器の底にカスみたいなのが溜まるんですよ。
給食で一番好きだったのは何だったかなぁ。好きなものも嫌いなものも、合わせて出てくるので、特にこれというのは無かったですね。なんでも食べましたね。食べられないほど嫌いなものはありませんでしたね。残さず、全部食べられました。
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