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ちょうど私が中学を卒業した年、昭和27(1952)年の6月に理容師法が改正になって、それまでは弟子を少しやって試験を受ければ良かったのが、学校を卒業しないと試験が受けられなくなって、私の年はどこの学校もいっぱいになってしまったの。その6月より前に床屋へ弟子入りした人は、「お情け免許」がもらえたんです。
通信許育は2年間でした。1年に何日かは実習で学校へ行くの。私は岩手県の学校へ行きました。夜遅くまで働いて、通信教育だから布団に入ってから勉強しようと思って書くんだけど、3行くらいで眠くなって・・・。翌日復習しようと思ったら、「何書いたんだ?」そんな風でした。
当時はお店が忙しかったんです。その頃はお店も少なくて、サンマ船が漁港に帰ってきて水揚げを済ますとみんな床屋に来るの。だから、休みなしで朝の3時頃まで床屋をしていました。それでも朝の6時には起きないといけないからね。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
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