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議員になるきっかけは歌津町長をしていた叔父に「そろそろ社会で役に立ってみたらどうか?」と言われたのがきっかけです。「みんなの声があるよ。やってみたら」とも言われました。今は議員をやっていますが、当時はそんな気は毛頭なかったですね。
2世議員というのは、親が引退の時出馬する。私の場合、父が引退してからずいぶん間があいてしまって、本当にゼロからのスタートでした。自分は「先生」とか「議員さん」と呼ばれるのが嫌いです。議員の役目は町民奉公だと思います。議員で儲けようと思ってやる仕事じゃないと思います。中には「先生」と呼ばれて、自分を特別だと思っている議員もいますが、自分はそうはなりたくない。自分は「樋の口の孝樹」と呼ばれてみんなが気やすく何でも色々言ってくれる方がうれしいですね。
議員だからと堅苦しく構えるのではなく、ジョークで例えるなら、登壇の際には自分のテーマ曲を流して登壇するとか・・。もし私なら、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンの「21世紀のスキッツォイド・マン」なんかで登壇したいですね(笑)。
議会というのは、言いなりで数の論理に流されてはだめだと思っています。評決は辛くても勇気を持ってやらないといけません。「辛口でないと・・」と思います。
今、自分は2期目(旧歌津町では合併を迎えるまで2年5か月務めました)ですが、町に対しては、偏りが一番気になっています。均衡のある街づくりをしたい。格差・差別のない社会が理想です。今、南三陸町はどうしても志津川中心で歌津が後回しになる傾向があって、2つの地域には空気の違いがあります。夫婦が相思相愛で結婚したはずなのに、やっぱりお互いが馴染むまでにはそれ相応の時間が必要なように、町も同じなのだろうと感じています。震災後志津川に物資が偏り、同じ町内なのに・・という事実がありました。「分ける」「分かち合う」「心は一つ」「絆」が、口先だけのスローガンになってしまっていてはダメです。
色々な事情があったとは思います。時間をかけて、いずれバランスの取れたところに納まるのではないかと期待しています。
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