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父はその後、夢を抱いて陸軍に入り、満州に渡って、司官である軍曹まで階級が上がりました。しかし当時は、大勢の軍曹が在籍していて、そこから次の階級の曹長になれるかどうかわからないので、転職しようということになり、気仙沼の人の紹介で、「満鉄(南満州鉄道)の社員を募集しているから」ということで、昭和9(1934)年、満州に渡り満鉄に入社しました。そこからは順調に昇進して満鉄工務区の助役にまで出世したのです。
満鉄である程度生活も安定したところで、「そろそろ嫁を貰っても」ということで、米川の実家「曲家(まがりや)」の200メートルも離れていない、「すまこ」という屋号の家の娘の母との結婚話が持ち上がりました。けれど父が満州にいるので、嫁に貰うことを決めた後も結婚式ができなくて、一緒に住まわせるのに、兄の秀吉が母を満州まで連れて行って、父のところに置いて帰ってきたんです。ほんとに田舎爺様(ずんつぁま)だったから、背広も何も持っていないから、モンペをはいた身なりで、どうやって行ったのかもわからないけど、当時としてはよくやったと思いますね。
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