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人が亡くなると、朝から買い物と称して座りこんで必要なものを買っていくんです。小さい時からそれを入れる箱を作ったんだけど、一式、木地蔵、(死出の旅に出る)わらじ、「死人(しびと)もの」と言って、亡くなった人が着る衣装のさらし木綿の反物などの一切をうちで売ってたんですね。昔は人が亡くなると、「みんな縫い物に来てください」ていって、死に装束を縫って着せてやるんです。
そんなわけだから、歌津全部のどこで誰が亡くなったというのが、うちではすぐわかるわけですよ、役場の次ぐらいの速さで。
商売をうちでやってたときには、家族みんなでご飯食べたことはなかったですね。お客さんがひっきりなしに来たりなんかして、忙しかった。このあたりには1軒か2軒かしか店がなかったらしいです。
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