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私の住んでる地区は、昔は年に2回、春と秋、今は旧暦の10月19日に地域の祭典日があったんです。しかし、今回のこの震災で、地域の神社の宮司さんが不在になっています。歌津には宮司さんが2人いらっしゃったんです。田束山(たつがねさん)を信仰する宮司さんと、うちの方の八幡様の宮司さんが。私たちは八幡様の氏子なんだけど、そこの宮司さんがいなくなってしまったんですね。
お正月には、神棚に飾る幣束や「きりこ」を、宮司さんがみんな切って氏子に渡すわけです。だから、宮司さんが見つからなかったら今年のお正月はどうすんだろうなって思ったんです。
神職と教職を兼ねている人は多いですよ。お寺のお坊さんは、檀家が多ければそれ専属で生活できるわけです。宮司さんなんて氏子がいてもそれで生活できないでしょ。宮司さんの仕事なんて地鎮祭とお祭りとか、年に何回しかないんだから。これから宮司さんをどうするか、氏子は今悩んでるところなのです。今は他の地区の宮司さんにお願いする方法しかありません。宮司さんになるのは、お寺の和尚さんになるより難しいということでした。
「いや、誰でもできんだ、テープレコーダで音を流して、ダンダン、ダンダンって。烏帽子をかぶってやればいい」と冗談でそんな話もしていますが、本当に宮司を務める人がいなければ、ただあの、お正月のお飾りができないんです。都会と違ってわれわれは海と神様と深いかかわりを持って生活してきたんですから。
氏子も、昔は神社に何度も奉納する機会があったわけですが、今は単なる神社を回っての打ち鳴らし、要するに、神楽です。宮司さんの鳴らす太鼓は神楽の太鼓なんです。私自身、神社ではありませんが、青年団で神楽をやったので、ある程度の知識はあるんです。当時ある地区の郷土芸能を伝承しようということで、若い連中5〜6人を集めて、神楽を習いに行ったんです。そして、青年団で芸能部門で県の文化祭に参加して神楽を披露し、優秀な成績を収めたこともあります。
うちの部落で神社は3つあるんです。八幡神社(はちまんさん)ていうのは、各部落にあるもので、そのほかに白山神社、愛宕神社。祭りの時はお神楽で、その3箇所を回ることになっています。神社は、建てる位置も「田束山から見て南南西になんぼ」とか、角度が決まってるんですね。詳しいことは分かりませんが星回りなどが関係しているのかもしれません。
私たちは、蕎麦だって、とうもろこしだって、みんな作ったんだから。粟もヒエも。で、戦争中は「かてご飯」って、豆を入れたり、大根の葉っぱを干して刻んで、炊きこみにしてね。大根の茎からね、栄養にもなるし。今だって食べるには食べられるのよ。今だってやればやれるのよ。ご飯でもなんでもね。粟だのヒエだのは、お餅に入れてね、米がないから、白い餅って食べたことがなかったの。
お正月なんかは、米を挽いて粉にして餅にしてね、それが一番豪華でした。後は、よもぎを採ってきて干して擦って粉にして、それもまた米に混ぜて、もち米に混ぜて草餅にして、そんなのは一番豪華でした。食べられない人もいる時代です。それを作って皆で一緒にね、食べたんです。本当にいろいろなことをしました。今の草餅は色で入れたりして、本当の草では無いからね。