文字サイズ |
2番目の姉が、はじめは静岡県富士郡吉原町にあった「東京人絹(じんけん)株式会社」というところに勤めてて、その後、横須賀の海軍で働きました。
姉が行ってから、募集があって、うちの父が世話をしてくれて、私を含めて志津川から6〜7人まとまって同じように働きに行ったの。そのとき私は小学校6年を卒業したばかりで13歳。
東京人絹は、8万坪もの敷地を保有していたよ。
東京人絹の工場は、沼津から電車で3つほど行った鈴川駅(現東海道線吉原駅)で降りて、吉原町というところにありました。パルプを原料とする化学繊維の糸(人絹)を製造する会社です。大きな工場で、男女別の大きな寄宿舎が3棟もあって、プールもあった。働いているのは若い男女で、男の人が夜になって女子宿舎に忍び込もうとすることがあって、そんなときは大騒ぎになって、1人や2人の男の人を、女の人みんなで取り囲んで追い詰めるの。そういうことは今のあなたたちの時代にはないと思うけど、その時代は風紀に厳しい時代だったからね。
Please use the navigation to move within this section.
© 2012 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.