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米川では人がなくなると、お寺で葬儀をしたあと、棺台にひつぎを乗せて野辺の送りをしたものでした。昔は土葬でしたので、亡くなった人が出ると、村の人が桶のような形の棺を亡くなった人の身体の大きさに合わせて杉の木で作り、その中にふつうは膝を抱えて座るような感じに入れ、棺台(がんだい)に乗せてゆっくりとお墓まで担いで運んだのです。身体が下り曲がらなければ長方形の棺にして寝かせ、リヤカーに乗せて運びました。契約講といって近隣の互助会で葬儀を執り行ったのです。
この写真はカナダ帰りの写真屋さんが撮ってくれたものですが、75年前の葬儀の写真です。亡くなった人を家から運び出すときは、玄関から出すようなことは絶対にしません。必ず座敷から出て行きます。そしてそのあとを箒で清めるような動作をしました。
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