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この地方はね、お昼御飯はこれ、とか決まったものはないけれど、割りと米がおいしいから、おかずはあんまり付けないで、漬物だけとか、昼はだいたいそういう感じだね。
あと、「はっと」ってね。東京で言う、スイトンみたいなもので、練った粉をうすく広げたようなのがあります。具は、汁ものならなんでもいいんです。味噌汁・・・醤油でもいいし、あずきなんかお汁粉みたいにしてもいい。
一説では、昔は、米は全部年貢でとられてしまって、残った小麦を使って、はっとを練って作ったところ、それが美味しいもんだから、米を百姓がつくらなくなるからまずいって、御法度になった、だから「はっと」。そういう説もありますね。最近なんかではカレーを薄く、緩くして、それに入れて、麺でないカレーうどんみたいな、団子汁みたいな風にするところもあります。
主食のごはんがあってはっとがある。でもご飯より好きな人はそればっかり食べるようです。年中通して朝昼晩問わずここら辺で食べられていますね。いっぱい人が集まってなんかやる場合にもはっとがあれば、ハラの足しにもなるし。1年中。私はあんまりはっと自体は好んでまで食べないんですが。
お正月に口に入るごちそうは、みんなこの辺りでとれたものです。お雑煮を作って、あんこ餅を作って、クルミをつぶして。クルミは金槌で叩いて割るんです。それでお雑煮には、(お雑煮の具に欠かせない)「お引き菜」と言って、中身は大根が千切りになって、にんじん、牛蒡と、しいたけと、あとは昔はね、地こんにゃくって言う名の黒いこんにゃく、それを千切りにしたのを入れて団子に作ります。その上に、蛸の渦巻(22ページ参照)とか、お雑煮の上盛りをします。仙台だとハゼなど付ける(※焼きハゼで出汁を取る仙台雑煮)んだけど、このへんでは、蛸の渦巻とかアワビとか付けてたんですよね。さらに、この辺りは鮭が登ってきて捕れたからイクラ(ハラコ)、セリはこのへんの田んぼから冬でも採れたから、セリのせて、シイタケのせて、それから、紅白のかまぼこをのせて、すごく豪華でした。
そこにお餅が入るのね。お餅がいらないっていうと「コウ」だけになるのね。コウっていうのはどんな字を書くんだったかな。よく「コウだけでいいな、餅いらないな」ってよく子供たちだけで言ってましたね。
あんこ餅とクルミ餅も用意します。あんこ作りは、大忙しだったのね。あんこ通しっていう道具があって、小豆をつぶしてこしあんにするわけね。そして袋に入れて水にふやかしてあんこを作ります。クルミはつぶして、剥くのは子供の仕事。クルミ餅とあんこ餅とお雑煮として、それでお正月の食卓は整います。
そして、大根おろし。神様にお供えするのに塩を使ってはだめって言われました。それで酢で味をつけたんです。紅白のかまぼこをお皿置きにして、そしてお正月の朝に、父親が神様に必ず捧げて、子供がその後ろにぞろぞろついていって拝むんです。
昔は、小学校を6年卒業すると、尋常高等1年、2年とあって、それから女学校です。今の高校です。部落から、同じ学年に約20人にいて6人かな? 進学しました。学校までは、歩いていきます。片道2時間、往復4時間です。今の志津川小学校前までです。
(中略)女学校では、お裁縫とか料理とか家庭科で、縫って染める絞り染めも習いました。編み物も基礎から編み方の種類も、1つ編み、2つ編み、かぎ針もね。洋裁も習いました。自分で裁って、子どもの服もセーターも作りました。染物は、染め粉を買ってきて、白い反物を、絹物でも、模様をつけるのにギューッと絞って、手で縫ってキューっと糸を巻いて、花模様や葉っぱとか、そういうこともやりました。着物の布を裂いて、ずーっと長く裂いて編み物もしました。今みたいな毛糸がなかったからね。かぎ針も棒針編みもやりました。
私たちは、1枚のお母さんの着物をもったいないって、ちゃんと型をとって、羽織1枚から洋服1枚。自分でちゃんとやって学校へ着て歩きました。
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