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震災から1年が経って、大分落ち着いて来ましたが、今度は自分の年齢のことなどをいろいろと考えてしまいます。国の対応も遅れていますし、移転希望や個別相談会もこれからで、復興には今から何年かかるかわからないですね。
前に住んでいた志津川にはもう住めないんです。本当は前の所に戻りたい。志津川ってのは、都会とは全然違って、みんな付き合いがあるからです。町内みんな顔を知ってる者同士ですし、銀行にいた関係上、近隣を2年ぐらい歩いたから、どこに誰が住んで、どういう人かってことが全部わかっているんです。
次住む場所は大体決まりましたが、これから必要な面積の希望をとってから買うことになるので、土地を手に入れるのがいつになるかわからない。しかも造成したらすぐに住めるわけじゃない。冗談でお寺の高台を分譲してくんないかとか言ったりします。被災者ってのは多くが70歳以上の人間ですからね。
家は、入谷の駅前、戸倉と湾サイドと3か所に分かれて移転するんです。私たちが住んでいたのは市街地だから、志津川高校の裏側と志津川小学校の裏側、それと湾サイドと同じ地区の人を、次も同じ地区に入れたいということなんですね。
もとの家の敷地は屋敷だけで400坪近くあって貸家もあるから、全体で500坪くらいあるのです。坪8万円とみているんですが、そうすると4000万が入ることになる。
しかし買い取りの代金がすぐに貰えないんですよ。替地する人たちが先になっちゃうんです。町にもそういう駆け引きがあるんですよ。被災地を買い取りするにも移転する人たちが優先になる。戻らない人は後勘定です。4年か5年後です。そうすると、先立つものがないから、家が建てられないんですよ。食べて行くだけの賃金を払う職場もないので、みんな志津川の外に出てしまいます。男はパートの680円や750円を貰ってもどうにもならないんですよ。
仮設住宅は今は無料で住めますが、3年目以降は賃料を払わなきゃならない。今、登米の仮設に来ている人も、志津川の方の仮設に入りたいと言って問題になっています。仮設が空いてればいいけど、空いてなければ志津川に移り住むことになり、補助金が出なくなることになります。自分で家賃を払って住むことになるんです。
私たちの今住んでいる佐沼の家は、小さい家だから認められましたが、2階建ての大きい家を借りた人は、登米市がみなし仮設住宅・賃貸住宅と認めなかったんです。書類に正直に書いたほうが悪いんです。2階はない物件を借りたことにすれば良かったんです。だれもそんなこと教えないから。
登米市は地元での死者が少なかったから、なるだけ余分な金銭を出さないように出さないようにしているのでしょう。私たちのようなよそから来た人には義理や、人情とかはないんです。
5人だから仮設住宅を2つ借りたんですが、狭くてね、いるところがなかったんです。そこから佐沼のこの家に移ったあとにね、テレビなどを借りることにしたんです。ある人に、6人で住むのなら、みなし住宅が仮設住宅として認められるということだったので、役場に行ったんですが、首を縦に振らないんです。仕方なく、自分で調べて、書類を一晩で書いてぎりぎりに出しました。おかげさんでテレビが借りられました。
それから市の人も家に廻ってくるようになりました。私はその人たちにいつも言うんですが、「70代の人にね、土地計画法第何条とか難しい専門用語を言ってもだめ、専用用語は使わないで話せ」って。銀行にいた私には、ある程度はわかりますよ。法律用語など、専門用語があまりに多すぎます。訳のわからないことを言う。「あんたたち自分のおやじさんに話すように話せ」っていうの。私にだってわからない法律がいっぱいあるんですから。
死ぬまでには家を建てなきゃいけないと思っています。だから、早くお金を貰えればいい。政府や国で早く土地を買い上げてくれ、代金を先に頂戴と言いたい。今高台移転で土地交換して家を建てたって1年はかかるんです。それが今から買収でしょ? まだ山で造成もしていないし、1年で収まらないでしょう。これから商店街や工場を形成することになるのですが、問題はそこです。高台移転したとしてもそこに雇用の場がないのです。もしこれを進めるなら自動車工場を引っ張ってくるとかすれば高台移転もスムーズに行く。
実は、私たちには売掛金で貸してあるのが台帳がないために取り戻せないでいるんです。地代や家賃が入ってこないところもあるし、そういう被害が大きいんです。自販機だって5台くらい持っていましたが。たくさん入ってたんだよ。売上げが少ないから毎日開けなかったけど。小金溜めてね(笑)。
酒屋の免許はありますが、再開しようという気はありません。息子はもう商売では食べていけないと分かっています。酒屋というのは、飲食店あっての商売で、ビールとか樽とか重いものを売って成り立つんです。一般個人の売り上げだけではだめなんです。復興市は観光客が来るので飲食店とおみやげは売り上げがいいらしいですが。
今、一番困っているのはね、水産加工業の人たちです。どこも人手が足りないのですが、復興需要で、建設業に携わる人は高騰し、農家の人たちは1万3千円、下水や側溝掃除に1万円が支払われますが、それより時給が低いんです。今から家を建てていくんだから、この傾向は5年は続くでしょう。また高台の土地は高くなり始めています。今、1人暮らしが20%くらいいるのではないかと思います。それに対しまともに働ける人がいる家庭なんてのは5割ないでしょう。食べていける給料を支払う職場なんてないのです。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
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