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やっぱりいつ何が起きるかわかんないから、少しは水とか、食べ物なんかも買いおきしといた方がいいですよね、そう思いますよ。やっぱりお米でもなんでも、「今日食べ終わった、明日買いに行って来る」ではだめですよね。食べ物なんかでも余裕持ってと思いましたよ。
うちのお姑さんは、「ご飯てのはな、キツキツ炊くんじゃないんだぞ、少し余計炊くもんだ」ばり言いました。それは2回も津波にあったからでねえかなって今思うんだけど。ご飯はきちっとたいて食べ終わって炊くもんでねえ、少しずつ多めに炊くもんだって、こう教わりました。今みたいに冷やご飯もチーンってやればすぐ温っかくなるもんでもねえしね。朝冷たいご飯、食べられないよね。だから一杯炊きたくなかったんだけど(笑)。
味噌でも醤油でも少しは余裕持ってないと寂しいんですよ。仮設に行ったって避難したって、そういう目に合えば、誰がそういうのを料理して持ってくるだっていうんですよね。だからみんな駆け足で買いにいったんじゃないですかね。1日も2日も何も食べない人、あったんでないかね。たぶん。命を繋ぐには自分が確保しないといけない。食べねば結局は人のためには働けない。なにかに自分の身を守ることを優先にしないと、助ける人がいなくなってしまうものね。ほんとに。
震災から1年が経って、大分落ち着いて来ましたが、今度は自分の年齢のことなどをいろいろと考えてしまいます。国の対応も遅れていますし、移転希望や個別相談会もこれからで、復興には今から何年かかるかわからないですね。
前に住んでいた志津川にはもう住めないんです。本当は前の所に戻りたい。志津川ってのは、都会とは全然違って、みんな付き合いがあるからです。町内みんな顔を知ってる者同士ですし、銀行にいた関係上、近隣を2年ぐらい歩いたから、どこに誰が住んで、どういう人かってことが全部わかっているんです。
次住む場所は大体決まりましたが、これから必要な面積の希望をとってから買うことになるので、土地を手に入れるのがいつになるかわからない。しかも造成したらすぐに住めるわけじゃない。冗談でお寺の高台を分譲してくんないかとか言ったりします。被災者ってのは多くが70歳以上の人間ですからね。
家は、入谷の駅前、戸倉と湾サイドと3か所に分かれて移転するんです。私たちが住んでいたのは市街地だから、志津川高校の裏側と志津川小学校の裏側、それと湾サイドと同じ地区の人を、次も同じ地区に入れたいということなんですね。
もとの家の敷地は屋敷だけで400坪近くあって貸家もあるから、全体で500坪くらいあるのです。坪8万円とみているんですが、そうすると4000万が入ることになる。
しかし買い取りの代金がすぐに貰えないんですよ。替地する人たちが先になっちゃうんです。町にもそういう駆け引きがあるんですよ。被災地を買い取りするにも移転する人たちが優先になる。戻らない人は後勘定です。4年か5年後です。そうすると、先立つものがないから、家が建てられないんですよ。食べて行くだけの賃金を払う職場もないので、みんな志津川の外に出てしまいます。男はパートの680円や750円を貰ってもどうにもならないんですよ。
仮設住宅は今は無料で住めますが、3年目以降は賃料を払わなきゃならない。今、登米の仮設に来ている人も、志津川の方の仮設に入りたいと言って問題になっています。仮設が空いてればいいけど、空いてなければ志津川に移り住むことになり、補助金が出なくなることになります。自分で家賃を払って住むことになるんです。
私たちの今住んでいる佐沼の家は、小さい家だから認められましたが、2階建ての大きい家を借りた人は、登米市がみなし仮設住宅・賃貸住宅と認めなかったんです。書類に正直に書いたほうが悪いんです。2階はない物件を借りたことにすれば良かったんです。だれもそんなこと教えないから。
登米市は地元での死者が少なかったから、なるだけ余分な金銭を出さないように出さないようにしているのでしょう。私たちのようなよそから来た人には義理や、人情とかはないんです。
5人だから仮設住宅を2つ借りたんですが、狭くてね、いるところがなかったんです。そこから佐沼のこの家に移ったあとにね、テレビなどを借りることにしたんです。ある人に、6人で住むのなら、みなし住宅が仮設住宅として認められるということだったので、役場に行ったんですが、首を縦に振らないんです。仕方なく、自分で調べて、書類を一晩で書いてぎりぎりに出しました。おかげさんでテレビが借りられました。
それから市の人も家に廻ってくるようになりました。私はその人たちにいつも言うんですが、「70代の人にね、土地計画法第何条とか難しい専門用語を言ってもだめ、専用用語は使わないで話せ」って。銀行にいた私には、ある程度はわかりますよ。法律用語など、専門用語があまりに多すぎます。訳のわからないことを言う。「あんたたち自分のおやじさんに話すように話せ」っていうの。私にだってわからない法律がいっぱいあるんですから。
死ぬまでには家を建てなきゃいけないと思っています。だから、早くお金を貰えればいい。政府や国で早く土地を買い上げてくれ、代金を先に頂戴と言いたい。今高台移転で土地交換して家を建てたって1年はかかるんです。それが今から買収でしょ? まだ山で造成もしていないし、1年で収まらないでしょう。これから商店街や工場を形成することになるのですが、問題はそこです。高台移転したとしてもそこに雇用の場がないのです。もしこれを進めるなら自動車工場を引っ張ってくるとかすれば高台移転もスムーズに行く。
実は、私たちには売掛金で貸してあるのが台帳がないために取り戻せないでいるんです。地代や家賃が入ってこないところもあるし、そういう被害が大きいんです。自販機だって5台くらい持っていましたが。たくさん入ってたんだよ。売上げが少ないから毎日開けなかったけど。小金溜めてね(笑)。
酒屋の免許はありますが、再開しようという気はありません。息子はもう商売では食べていけないと分かっています。酒屋というのは、飲食店あっての商売で、ビールとか樽とか重いものを売って成り立つんです。一般個人の売り上げだけではだめなんです。復興市は観光客が来るので飲食店とおみやげは売り上げがいいらしいですが。
今、一番困っているのはね、水産加工業の人たちです。どこも人手が足りないのですが、復興需要で、建設業に携わる人は高騰し、農家の人たちは1万3千円、下水や側溝掃除に1万円が支払われますが、それより時給が低いんです。今から家を建てていくんだから、この傾向は5年は続くでしょう。また高台の土地は高くなり始めています。今、1人暮らしが20%くらいいるのではないかと思います。それに対しまともに働ける人がいる家庭なんてのは5割ないでしょう。食べていける給料を支払う職場なんてないのです。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
今後の夢と言われても、まだ余裕がなくて、そこまで行かないなぁ。とにかく政治家の仕事って言うのは、そこに住んでいる方々が安心して生活することに尽きます。そこには経済的なこともあるし、防災的なこともあるし、全ての面が関係してくるわけだけど、やっぱり「ここで生まれて良かった」と、そう思ってもらえるようにしたいですね。
地域の安全と産業の振興とあるけれど、そこで自分が出来る範囲で、それに向かって励むしかないと思います。みんな協力し合いながらみんなが幸せに暮らせればいいなということです。
ここはやっぱり一次産業、水産業が大事なんです。これをはやく復活させることなんですよね。養殖場があるから、そこがうまくいけば、生活にゆとりが出てくるからね。
「水産特区」を知っていますか? 県知事が発言し県議会でもその方向で行くのに決定しているものです。要するに民間の資金を利用して、民間の方に漁業に参入してもらうということです。
具体的には、漁業権行使の書き変え時期にあたる平成25年までには確定します。そこで県知事が区画漁業権の許可を出すんですが、これからは民間にも出しますよ、というふうな内容なのです。
漁民の中には反対してる方々もありますよ。単純な既得権が脅かされるから反対だ、反対だ、と言う。そうじゃなくて、結局今、漁業施設が壊滅状態で、自力で再建が出来ない人もいる。若い人が後継者にいて、これから30年も40年も事業を継続できるよっていうところばかりではありません。
たとえば事業主が50代、60代で、息子は別の仕事をしてる人、後継者がいなくて自分で終わりだという人の中には、借金をして昔のように復活できるかっていうとやれない人もいるんです。国が再建資金の3分の2の補助をくれるといっても、数万円でできるものではありません、何百万、何千万とかかるんです。むしろ民間の業者に来てもらって、そこで一緒に働くとか、サラリーマン感覚で、給料を貰って働きたいという人もいるわけです。
だから産業復興というのは、やりかた次第だと思います。何も今まで自分たちが漁をしていた、そういう生活を邪魔されるわけではないわけです。県知事が許可を与えんのは限定した部分で、何もかもを渡すわけではないのです。漁業権という権利をもともと持ってた方々が全部放棄させられるわけではなく、ある程度の分野に就いては民間に譲りましょう、ということなんです。民間は漁民ができないことをやってもらおうということ。だから、私は賛成なんです。
民間の業者が来る事によって、販路も広がってくるわけで、今までが「作り育てる漁業」だったのですが、今は「売る漁業」なんですよ。付加価値を高めると。そうすると販路も広がってくるし、今まで10売れたものが12に、15になるかもしれないんです。要するに、漁民の方々の収入が増えればいいと思いますね。
この震災をきっかけに、漁業の形も変わってくるだろうと思います。そう考えないと、これからの経済社会を進んでいけないと思いますね。人間の意識の方向変換が大事です。
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