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そして、戦後は、ああ、ずいぶん変わりましたよ。農地解放(GHQの指揮で、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ、実際に耕作していた小作人に売り渡された)で地主が土地を失くし、幣価切り下げもありました。つまり、銀行で紙幣に印紙が貼られて、個人がいくら以上のお金を持ってはダメだという、ちょうど北朝鮮がやったのと同じ政策を打ったんです。
農地解放では、今まで小作料を取られてた人が取られなくなったから、農家がたちまちのうちに復興したんだね。あれが日本で一番大きな変化でした。要するに、地主だの庄屋だのをみな解体したんだから。うちなんか地主の方でしたから、ガッポリ取られた方ですけどね。
昔の小作人の農家は貧乏でした。地主が小作人に農地を貸すときは、田一反あたり米をいくら寄こせ、となるわけです。これが小作料。三穀と言って、収穫の半分くらいを地主に取られるんです。その農地が小作人に開放されたからね、農家の人たちの暮らしが全体に良くなったわけです。私たち地主がもらったのは、田は一反300坪につき250円(笑)。当時、お米にして一升です。
中学2年生から4年間、ずっとそういう戦後の変化を見て、家では農業を手伝っていました。中学生なんて今でいうと子どもでしょ。でも昔は違うんですよ。小学校のときから始まって、中学校になると農業の仕事全部をさせられるんです。だから、世の中で何が起こっているかは理解できたのです。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
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