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この辺のお祭りは、小泉八幡様のお神輿ですね。9月10、11日にやったんですよね。その神社には、たまたま津波が乗らなかったので、30年ぶりにお神輿を担いだんです。担ぎ手がいないので、最近は人が担ぐんじゃなくて、トラックに乗せて回ってたんですよ。結構重いですし、20人はいないと代わる代わる担げないんです。
だから、ボランティアの人たちにも、今回は助けられたかなと思います。地元の人もみんな喜んでいましたね。
私自身は、子どものころのお神輿の記憶はなくて、父ともそんな話にはなりませんが、たぶん、地元の青年部にいたようなので、お神輿を担いだと思いますよ。
蔵内地区には、子どもたちの虎舞っていう太鼓があって、子どもたちは叩けるんです。
うちの実家のあんちゃん(奥様のお兄さま)は須賀神社の平磯虎舞(天保時代から受け継がれている。打ちばやし独特の勇壮なリズムと繊細な舞いが見もの)っていう郷土芸能で太鼓をやったんですよ。平成3年、それで全国青年大会で最優秀賞を取りました。
戦争に負げたからね、暴力団なんかが、横暴(デタラメ)になってきたべっちゃ。ほんではワガンネ(いけない)ということで、私たちは、こういう時こそ神様への信仰でひとつになることが大事だと思って、私は先頭になって、南部神楽を始めたんです。終戦後、私が20〜22歳ぐらいのときです。そのあたりに南部神楽が始まったの。私は青年団長でしたから、若い人たちに教育みたいなことをしたんです。つまり、自分が教えられたことを伝えたんだね。
私たちのお神楽は、本吉の法印(ほういん。旧修験系の宗教者のこと)神楽とは違うの。うちは南部神楽だから。岩手県が本場。山伏神楽とも言うんだ。
神楽って言っても種類がたくさんあるんですよ。楽器は、10センチくらいの鐘を叩(はた)く人と太鼓(写真)とがあって、大胴太鼓は細いバチを使って横から叩くんだ。着物と面コがあって、そういうのを身に着けて踊るの。笛は鳴らさねぇ。南部神楽は笛使わねぇから。
こないだの津波でも、面からなにがら、道具は流されなかったから、今も全部あるし、今でも頼まれればできます。私が入院して太鼓の演奏会に出られなかったときも、おばあさんが衣装の管理や洗濯をしてくれたんだね。
私は小せえ時は神楽が好きで、ドラム缶やバケツを鳴り物にしてやったんだもん。戦後の何も無い頃だから。若い人たちにはね、お面はね、ほおの木、かぶきの葉で、大きな葉っぱに穴ッコを開けて、口に噛むようにしてやらせたの。
神楽は33番あるんだ。「岩戸(いわと)開き」が始まり。「岩戸開き」(天岩戸伝説が元になっている)というのは、あんたたちも習ったでしょう。
天照大神(あまてらすおおみかみ)がね、天(あま)の岩戸さ隠れて、この世が暗くなった。ほんで、「とってもワガンネ(困る)」となって、娘たちが、岩戸の前で踊ったの。そしたっけ、岩戸の中までその音は聞こえた。天照大神がそんどぎ少しだけ、岩戸を開けた。世の中が少し明るくなったんだと。
その時と思って、力持ちの手力男尊(たぢからおのみこと)が、ガラガラと岩戸を開けた。そしたら、この世がまた明るくなった。そして、娘たちが踊っているうちに、この世が明るくなったという話を、翁(おきな:老人)が出て来て語って聞かせて、「この世で何も起こらないようにすべ(しよう)」とおしめ(注連縄(しめなわ))を作った。
今でもお正月に注連縄作るのはね、悪魔を祓うためです。注連縄をどこの家でも、お正月に飾っぺっちゃ。そういう謂れ(いわれ)を神楽でやるわけです。それが「天岩戸開き」。
天照大神は女(おなご)の神様だからね、だがら女っつうのは強いんだねぇ。長生きすんだ、男より。家でも女が強いから、天照大神だ、ははは。だがら、お金もなんでも女に預けるのが本当さ。「はいはい」ってなるべく、お金を男の方より女の方に持たせれば、身上(しんしょう)が持てるって。男でだめなんだ、使ってしまうから。お金は女(おなご)が持ってたほうがいいんだって。
そのほか「壇ノ浦(だんのうら)」とかもやるんだ。「屋島(やしま)合戦」(源平の戦いの話)なんかはすさまじいんだ。屋島神社ってあるんだ、そこに。水戸黄門のおじさんって人が壇ノ浦の屋島神社を作ったって、見に行ったこともあるんだ。大したもんだ。
こういう神楽のときに歌うのも、話をするのも私1人なんだ。踊る人たちが言うには、1人でないと調子が合わないそうです。話しながら太鼓を叩くんで、息を合わせないといけない。話すと手が動かなくなってしまう、だから難しいんだ。踊るのはまずもって、3人くらいだけど、5人で踊るときもある。神楽33番、一幕、ひとつの演題を全部やるとだいたい、2時間〜4時間掛かんでねえか。
私は踊りが好きなんだ(奥さま曰く、「好きなの、この人は。歌って良し、踊って良し。ヤクザでも、マドロスでもなんでもいいんだ。好きでなければだめ(笑)」)。今は年取ったからあれだけど。
神楽を披露しに、仙台の東北博覧会にも行ったことがあるし、藤崎(百貨店)にも、歌津会(各地にいる歌津出身の人の会)の人たちを呼んでやったんだ。その時は、唐桑(気仙沼市)の「七福神踊り」(小鯖神止まり七福神舞)の人たちも一緒でした。そういえば、博覧会では、ステージの前で見ていた外国の人たちが、「殺陣」を見て逃げ出したこともあったね(笑)。文化の日なんかに、学生に神楽を教えたこともあります。
私の住んでる地区は、昔は年に2回、春と秋、今は旧暦の10月19日に地域の祭典日があったんです。しかし、今回のこの震災で、地域の神社の宮司さんが不在になっています。歌津には宮司さんが2人いらっしゃったんです。田束山(たつがねさん)を信仰する宮司さんと、うちの方の八幡様の宮司さんが。私たちは八幡様の氏子なんだけど、そこの宮司さんがいなくなってしまったんですね。
お正月には、神棚に飾る幣束や「きりこ」を、宮司さんがみんな切って氏子に渡すわけです。だから、宮司さんが見つからなかったら今年のお正月はどうすんだろうなって思ったんです。
神職と教職を兼ねている人は多いですよ。お寺のお坊さんは、檀家が多ければそれ専属で生活できるわけです。宮司さんなんて氏子がいてもそれで生活できないでしょ。宮司さんの仕事なんて地鎮祭とお祭りとか、年に何回しかないんだから。これから宮司さんをどうするか、氏子は今悩んでるところなのです。今は他の地区の宮司さんにお願いする方法しかありません。宮司さんになるのは、お寺の和尚さんになるより難しいということでした。
「いや、誰でもできんだ、テープレコーダで音を流して、ダンダン、ダンダンって。烏帽子をかぶってやればいい」と冗談でそんな話もしていますが、本当に宮司を務める人がいなければ、ただあの、お正月のお飾りができないんです。都会と違ってわれわれは海と神様と深いかかわりを持って生活してきたんですから。
氏子も、昔は神社に何度も奉納する機会があったわけですが、今は単なる神社を回っての打ち鳴らし、要するに、神楽です。宮司さんの鳴らす太鼓は神楽の太鼓なんです。私自身、神社ではありませんが、青年団で神楽をやったので、ある程度の知識はあるんです。当時ある地区の郷土芸能を伝承しようということで、若い連中5〜6人を集めて、神楽を習いに行ったんです。そして、青年団で芸能部門で県の文化祭に参加して神楽を披露し、優秀な成績を収めたこともあります。
うちの部落で神社は3つあるんです。八幡神社(はちまんさん)ていうのは、各部落にあるもので、そのほかに白山神社、愛宕神社。祭りの時はお神楽で、その3箇所を回ることになっています。神社は、建てる位置も「田束山から見て南南西になんぼ」とか、角度が決まってるんですね。詳しいことは分かりませんが星回りなどが関係しているのかもしれません。
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