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見習い修行から志津川に戻って以後、いろいろな大工の人たちと関わるようになりました。何年もしないうち、25~30歳くらいの頃だったと思いますが、宮大工の方と関わるようになりました。
上山八幡宮(かみのやまはちまんぐう)や大雄寺(だいおうじ)など、あれだけの地震があったのにビクともしなかったのですが、そこの建築に関わった先生に、一応何年か社寺建築の現場にいさせてもらって、手伝ったことがあります。応援ですね。興味はもちろんありましたからね。
社寺建築でも、普通の部屋を造る大工は重宝がられるんです。宮大工は彫刻とか斗組(とぐみ)とかを作業して、それが終わると中の造作は我々一般建築の大工で十分対応できるんです。
その流れで、私は神棚を作るのが好きなんですよ。宮大工の手伝いに行って神棚を見て、「こういうの、いいな」と思って、そのミニチュア版を造ってみたわけなんです。小さい、細かい細工に自信がありました。どこ行っても「神棚はやらせてくれ」って言う位好きだったんです。手伝いに行っていたところの棟梁に「造らせてほしい」と頼んだら「いいよ、やっても」と言われて造ったのが最初です。現場で10日位、座布団の上に座って作るんです。
神棚は神様の本体を納めるためのお部屋を造るんです。この辺のは巾が6尺(1800㎜)とか9尺(2700㎜)大きいんです。細い垂木をいっぱいかけたり、神社のように斗を小さく拵えたり、大好きな作業でした。家は1軒1軒間取りも違いますから、そのたびに図面も自分で書いて造っていました。
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