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大工の一家に生まれたので、親としては後を継いでほしいという気持ちはあったかもしれませんが、直接そういう教育はありませんでしたね。中学校を出て、建築関係の専門学校に行ったんです。古川の高等技術専門学校建築科というところです。3年間ありましたが、そこは1年でマスターしたもんで、勝手に飛び級しまして(笑)。1年通えば十分でしたね。
それでそこを辞めて、志津川の知り合いの大工さんに「登米に自分の弟子がいるから、その人に付いて修行したらどうか」と紹介され、登米の大工さんに「見習い」に入ったんです。「徒弟制度」って今でもありますが、まるっきり他人の家に弟子入りして4年間修行させてもらうんですよ。職人の世界では、一度は地元や親から離れて修行する、つまり、まずは他人様の家に住み込んで、そこでご飯を頂いて、技術を身につけるのが基本なんですよ。何の世界でも同じでしょうけれどね。
私は昭和35(1960)年12月25日、志津川で生まれました。日本の高度経済成長期といえば、そういう時代ですか。
親父が大工で、私も大工。普通の大工です。うちの家は分家して独立した新しい家なんですが、本家のお爺さんはすでに大工だったから三代目ということになりますね。
お爺さんには息子が3人いて、つまり、親父とおじになりますが、全員大工になりました。独立してみんな近所に住んでいますよ。お爺さんのご先祖までは大工だったかどうかはわかりません。お爺さんは私が生まれる前に亡くなっていました。
その息子の父もおじも全員、一人仕事と言いますか、工務店という形で会社組織にしてはいないんです。4~5人のフリーの大工が組んで、自分の仕事のあるときは人を呼んだり、また、よその建築現場に呼ばれて手伝いに行ったり、という具合に自由に動いていますね。工務店の看板は掲げてませんけれど、そういう働き方は多いです。
地域のキーワード:大工
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