文字サイズ |
昭和28(1953)年8月23日、乙女座生まれです。家業は林業。父は歌津町議員も務めていました。6歳上と4歳上の姉が2人います。
現在の住まいは、築58年の木造建築です。林業という仕事柄、お客様より良い材木を使うわけにはいかないので、柱には栗の木なども使用しています。昔ながらの造りにこだわった田の字造り(平面を4部屋に区切った形が「田」の字に似ていることから)の家です。広い土間に大きな部屋が4つ、その部屋の両側に廊下があり、奥の離れへと続いています。田の字造りというのは、ふすまを開放すると大きな広間にできるので冠婚葬祭を家でやる時代には大事な機能でした。
私が25、26歳までは、このあたりは土葬だったんです。奥の床の間のある部屋の神棚の下に二間の押入れ(お母様のご希望)と、離れへの通路にも少し収納がある程度で、家の広さの割には収納が少ないと思います。学童期は「自分の部屋」に憧れましたね。長机を持っていろいろな場所に置いてみるけど、広い空間に独立した空間を作ることが難しくて、よそに遊びに行くと小さいながらも子どもだけの空間があるのがうらやましかったものです。
この家に祖父母、両親、姉2人、自分の7人家族。そして、離れに叔父叔母夫婦と、その子ども、つまり従兄弟が3人の5人家族の2世帯が住んでいました。あとは、うちの土地を借りて、うちの仕事の手伝いをしていたおばあさん、おじさん、そのおばあさんの兄弟、住み込みの方のご夫婦の6人が住んでいましたから、全部合わせると同じ敷地内に3家族がファミリーだったんです。そのうち2家族が、ここで一緒に食事をしていました。家長が座る場所「横座(ヨコザ)」に祖父が座り、次には父母が座って、正座して全員そろって食事をしました。こうして大勢でご飯を食べることが、とても自然で当たり前でしたね。ガス釜じゃなく、薪(まき)を使って竈(かまど)で米を炊く時代です。薪は、冬の前に、父と叔父さんと、大勢手伝いに来てもらって、斧で薪を割って木の小屋に確保していました。昔は囲炉裏端でいぶしていたから、柱のあちこちが真っ黒になっていたので、張り替えています。
Please use the navigation to move within this section.