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近所に三姉妹の方があって、その家へ毎日遊びにいったのよ。上のお姉さんは私と1個違いだったし、あと妹2人とは、3個ぐらいずつ年下だった。今でも懐かしいです。遊んだ笹浜の方、歩ってみたいと思うね。その三姉妹以外にも、ほかにも子どもが来るの。そうね、6人・・7人くらいかね。みんな寄ってきてね。みんなで仲良く遊ぶ。喧嘩しないでね。毎日遊んだもんです。陣取りとか、縄とびとか、もう、汗流して遊んだものね。今みたいにゲームなんてない頃ですし、そんなもの、夢にも思わないもんね。お手玉とかね。おはじきですね。
三姉妹の家には、みんな寄るのね。別の家に行くと、きれい好きなお爺さんがいて、箒を手から離さないで、遊びに行くと追われるわけだ。「散らかす」って(笑)。だからその三姉妹の家に毎日のようにいって遊んだわけ。
今の「イジメ」なんて、なかったですよね。なんでいま「イジメ」なんてやるんだかね。ほんと仲良くね。虐められたこともないし、もちろん虐めたこともないし。仲良く遊んだもんだがね。陣取りなんてね、男性軍はそっち、女性軍はこっちでね。そして遊んだもんです。汗流してね。
仲良しだった三姉妹は、上のお姉ちゃんだけ青年学校まで一緒で、後の2人は体が弱くてね、早く亡くなったんです。遊び相手が減ってしまってさびしかったですね。
あと、夏休みはラジオ体操あったのね。宿(しゅく)の唐桑小学校に行ってラジオ体操するのに、30分くらいかけて行ったのね。学校に行く時は、大体、みんなで一緒に行きましたね。終わったらハンコ押してもらってね。ラジオ体操、好きでしたし、運動会でも徒競争だけはいつも1等で、あとはもう、後ろの方から1等かな(笑)。
兄とは、半造(はんぞう)に行って、ナメコやなんかのキノコ採りとか、「かけす」って言ってたアヤメ、あとは、オキナソウが沢山あったんですよ、それを掘りに行ったりとかね。よく兄に連れられて歩ったの。掘ってきて育てたりとかね。あとはほら、栗取りとか、あけび取りとか、兄を追っ掛けて、そして歩いたの。
子どもの頃は、父がね、草履を作って履かせられたんです。そうすると、3日位経つと、草履の周りのはみ出た藁が、ポサポサポサっと出てくるわけ。それをハサミで切っては、履いてたのね。そのうち、草履がくたびれそうになると、すぐに取り替えてくれたのね、父が。早く起きてね、藁をトントントントン、草履作ってくれたんです。赤とか白とか、いろんな布を手で撚(よ)って、巻いて、それを鼻緒にしました。漁業の仕事をしながら空いた時間で作ってくれたんです、はいはい。
よっぽど大きくなるまで靴なんてなかったね。雨の日はね、下駄。今のようにカッパなんて無いから、お婆さんが、お嫁に来る時持って来た毛布を、でっかい長持ちから出して来て、「これ被っていけよ」って、三角に折って、かぶせて、紐で結んでくれました。そして下駄を履いて宿の小学校まで歩いて行ったの。
そして、ストーブなんてないもの。雪なんか降ったら冷たいですよね。冷たいって言ったって仕方ないもの、足元に置いて。その濡れた毛布に足をくるんで、そして帰って来たんですね。そうして雨の日も風の日も休まないで通ったんですね。
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