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私が生まれたのは昭和7(1932)年3月16日。もう80歳です。私は、銀行に一番長く勤めていたのだけどもね、百姓から、酒屋から、商売から、いろいろやったんです。何でもやってきたから。何でも聞いてください(笑)。
生まれた家は南方(みなみかた。宮城県登米市東部の穀倉地帯)の百姓でした。今住んでいる佐沼から2キロメートルくらいの所です。南方の小学校に6年、佐沼(宮城県登米市、南方の西北に隣接する)で中学校を4年、高校を2年と、この近くの学校に通ったからね、このあたりのことは全部、わかるわけ。その間に戦争もありましたよ。その間、中学校ではほとんど勉強しないで、田の草取りだの、農家の仕事、つまり農作業をやってきたの。戦時中の学徒動員と同(おんな)じように、学校で勉強しないで、勤労奉仕をするんです。そういうのが中学校の1~2年ごろずっと続きました。中学校2年生の時に終戦を迎えました。
実家の農家は、お袋がやってたんです。この辺りはみんな農家だったんですよ。親父は私が生まれてすぐ死んでしまったので、お袋が働いたんです。
私は5人兄弟の末っ子なんです。一番上は軍隊に入り戦死しました。2番目は学校の先生でしたが、去年亡くなりました。あとの2人の兄は、百姓をしていましたね。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
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