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そして翌年昭和10(1935)年3月20日、奉天、今は瀋陽っていいますけど、そのそばの鉄嶺(てつれい)(=現中華人民共和国遼寧省)というところで、長男として私が生れました。けれど、3歳で哈爾濱と長春の間にある徳恵(とっけい)という町が父の勤務地となり、そこに引っ越してきました。物心付いた時には徳恵に住んでいたので、鉄嶺のことはぜんぜんわからないですね。
そして私は徳恵の小学校に入りました。その頃は日本人が満州を支配していたので、日本人だけの学校であり、日本の教科書と同じものを使って勉強しました。私が入学する前の1年生の教科書は「サイタサイタ サクラガサイタ」で始まりましたが、私たちは「アカイ アカイ アサヒガノボル」で始まる教科書になったんです。日本は神の国、アメリカやイギリスは鬼だと教えられたんです。3年生、4年生の授業では敵を玉砕するんだっていう教育を受けてきたし、学校卒業したら予科練(注※)が有名だったから、予科練に入るんだ、と思っていましたね。
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