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中学を卒業して、春から秋までは家の百姓仕事を手伝ったり、鉄道の建設現場へ働きに行ったりしました。ちょうど麦を撒き終わった頃で、三陸鉄道の現場へ40日くらい通いました。鉄道の始まりの頃なので、トロッコに乗ったり、トロッコに荷物を積んで運んだりしました。コンクリを使う時は、今はコンクリの袋も20キログラムくらいの小さいのがあるけれど、その頃は1袋が40キロでした。私は背が大きくて力があるから、ドーンと40キロを載せられて、それを持って運びました。「あねっ娘は、力がある時は160円払うんだけど、オメェは力があって一生懸命やるから180円やるかな」って言われて、その20円が嬉しくて一生懸命働きました。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
地域のキーワード:三陸鉄道
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