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勤めた当時は、電報の配達も仕事でした。まだ三公社五現業の前の逓信省(ていしんしょう)の時代です。電報は夜に多いので、宿直もありました。電話の取次ぎも仕事でした。呼び出しなんてまだ無い時代です。「どこそれさ行って、電話かけるように頼んでけろ」なんて電話がかかってくると、それを知らせに行くとか、サービスですね。戦時中、私が勤めた頃は、電話も役場と漁業協同組合と農業課の3つしかありませんでした。
空襲警報もまず郵便局に知らせが来て、それから役場へ知らせて、サイレンを鳴らす。まずは志津川の郵便局へ連絡が来て、そこから枝葉に分かれたんだね。
電話も段々増えてくると、一度に数が重なると、シャッターが下りて、警察と役場の電話しか使えなくなるとか、そんなこともありました。後は、電話が混んで通じないので、「特急」とか「急報」とか「普通」とか料金が違うんです。早く電話をかけたければ料金を高く出して「特急」、そうすると「普通」の人より先になる。そういう時代でした。
「縦の糸はあなた、横の糸は私──夫婦の自分史」千葉貞雄さん・きちよさん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和4(1929)年生まれ
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