文字サイズ |
お米は食べられたと言っても、いろいろなものを混ぜて食べました。麦ばかりじゃなくて大根の葉の干したものや、ひじきご飯とか、サツマイモのご飯だとか、いろいろです(かて飯)。食べ物が本当に無い時代でしたから、学校のお弁当にはサツマイモを蒸かしたものや、きんとんを持って行きました。
きんとんってわかる? じゃがいもを煮て、皮を取ってすりこぎで潰してね、家族が多いから、お餅をつく臼に皮をむいたじゃがいもを入れてペッタンペッタン潰して少し粘りを出してから丸めて、花みたいにひねって格好をつけて。砂糖が無かったから先っちょに味噌をつけて、それを弁当缶に入れて持って行ったりしました。
家で畑もしていたから、小麦を蒔いて、小麦の粉で今ならホットケーキみたいなのを焼いて食べたりもしました。
砂糖といえば、戦後、小学校5年生くらいになると砂糖の配給がありました。その砂糖も、ザラメみたいな、目の細かいザラメって感じで、そこに毛布や南京袋のクズみたいなのが混じっているようなやつ。今なら大騒ぎでしょうね。その頃一緒にとうもろこしの粉も配給になったので、やっぱりお菓子を作ったね。作ったお菓子に砂糖をつけて食べて・・・。いろいろな代用食も作りました。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
子どもの頃の遊びはテレビなんかなかったからね、海山で遊びました。そこらじゅう、走って駆けってまわってね。
夏は海に行っては、アワビ獲ったり食べたり、海で育ったせいもあって、海が好きなんですよ。魚釣り、漁が好きなんです。山に行っては、弓なんか作って、ウサギを撃ちに行って、罠を仕掛けて。何も獲れないんだけど、そんな遊びがお気に入りでしたね。
山ではアケビを食べたり、それから、人の家の畑のキュウリを取って食べたり、サツマイモを抜いて食べたり(笑)。そんなこと、この辺りの人はみんな同じです。食べても誰も怒んないんだ。ああ、珍しいバタンキュー(スモモのこと。バタンキョウとも言う。すももを食べ過ぎるとお腹が張って、下してしまう。あるいは樹からもいで、ろくに洗いもせずにかぶりつくものだから、もともとの栄養失調に加えて赤痢や腸チフスになって落命する危険もあったためバタンキューという説あり)ああいうのは取ると怒られる、数が少ないから。キュウリとか畑の物は怒んないんです。その頃は、みんなお互い様なんだ、という感覚です。「盗む」というのでなく、「お腹空いたから食べる」なので誰も怒らない。それは小学生の時ですよ。中学生になってさすがにそれはしないね(笑)。
今は少ないけど、私たちが小学生のときは、自然の天草(てんぐさ)が海にいっぱいあったわけ。友だち何人かと一緒に、それを海に潜って採って、岩場に干して、夕方売りにいくんです。1日干したら、買ってくれる海産物屋さんなんかあるから、売れるんです。子どものすることですから、採る量も大したことないんですが、それでも、1人当たり1本5円のアイスキャンディーを買って食べられたんです。
開口と言って、この日はこの海産物を採っていいですよ、って解禁の言う日があって、天草の開口はお盆前なんです。みんなその日に船で行って、天草を採りに行って、自家製のところてんを作ったんですよ。天草は、「天草つき」で挟んでむしり取るわけです。
アカハタなどの天然物は高級ですからね。今は天然の天草も少なくなりましたね。海草は採らなきゃだめなんです。季節になると採って、岩を空けるとまた新しいものが着くわけです。採らないと自然に減っていってしまうんです。天草で商売してる人は今はありませんね。南の方、瀬戸内海のほうかな、ところてん作ってる人はいるから養殖をしている場所もあるかもしれないけど、こちらは養殖はしませんからね。
Please use the navigation to move within this section.