文字サイズ |
タコはだいたい、アワビの開口終わった頃に網や籠で獲るんです。アワビは11月からです。だいたい年に5回か6回ぐらい開口するんです。それも天候見ながらですから、天候が悪ければその年は4回のこともあるんです。逆に天候が良ければ6回までは行けるね。この開口の時もみんなで漁に行くんです。
アワビを獲るときは、潜り漁は禁止なんですよ。網も禁止。獲りすぎるから。終戦後なんか網ですくって獲るもんだから、アワビの数がいっぱいだったんですよ。獲るのはいいけど、全部身を剥くから、獲るより人手がかかったんですよ。そんなふうに、みんなが乱獲をするってわけで、それ以降はみな、カギで一個ずつ獲るようにしたんですね(図1)。こういうカギでね。深いところで5メーター6メーター、浅いところで2メーターあるね。
ウニの季節は6月から7月です。私が若い時、ある年はひとりで、ウニを60キロくらい獲った事もありました。そのときは、朝6時からだいたい10時までずっと漁をしてましたね。
アワビは今でもやります。去年はひとりだけど採りましたよ。最近はなかなか数量が少なくなってねぇ。その年の開口を通して、10キロくらいでないかな。去年の相場はキロ7500~7600円でしたね。
農業より、やっぱり海の方、アワビやウニ、ワカメのほうが収入になったんですね。しかも、アワビだってワカメだって家族の多いところは、よその家より余計に獲るわけですよ。5人も6人も行って採ることもあるから、その分、収入がちがうわけです。
だから、開口には、健康な人はみんな行きますね、母さんだって婆さんだって、その家にいて、健康な人はみな一緒に行くんですよ。船に乗る人数は、家によりますが、何人乗りだろうがかまわないんです。ひとりで行く人もいれば、3人乗って行く人もいましたしね。
ウチは両親が結婚する時に船を持って組合員になって、漁業権も持っていたので、夏はウニ獲り、11月はアワビ獲り。畑もあったので、大根とか白菜とか、そういう物を食べて、おかずって特別に考えたことはないですね。
私が小さい頃、昆布の開口と言うのもあって、その日は赤崎海岸に親が船で昆布を持ってくると、それを私と妹で伸ばして干して、夕方になったら全部まとめて家に持ってきて、そのままだと乾いてガリガリになっているから、少ししとらせて(湿らせて)長さを揃えて切り分けて、業者に買ってもらいました。
芝から出てきてからは自力で生活していくしかなかったから、ワカメでも昆布でも、現金になるものは私たち子どもも手伝ってやりました。
実家は百姓でした。それから、海仕事もしていました。アワビを獲ったり、ウニを獲ったり、あとは、歌津の海藻を一生懸命採ったんだっけねぇ。おらいの(うちの)お袋は、歌津の中でも海藻をたくさん、採ったほうだ。みんながカゴ1つぐれえと採る時は、2つぐれえ獲ったもんです。自慢でねえけど、それ位だから、腕では他の誰にも負げねんだ。「磯の博士」だ。
私は、お袋に「こういうふうにやるんだ」と教えられたんだね。「海藻を採るのに良い所はここだから、ここで獲れ」って、教えられたの。それが、やっぱり、勉強になったんでねえの。ちゃんと獲らねえど、お袋に怒られたから。海藻を採る時は、ざるのようなものを持って行ってね、それが一杯になると、それを袋に入れて持って帰るんです。
味噌は、小鯖に嫁に来た頃はずっと家で作ったの。豆を煮てね。親類でカツオ製造する家があって、カツオ煮る窯で豆を煮てもらって、そして手で回して潰して、塩入れて、麹は入れたったかなあ? そうして作ったんです。ここ結んで、藁でこうくるんで、こうぐってそして炉さつるしてね、カビが生える。そのカビがいいんだ。私は笹浜の実家にいる時から見てきたから、わかってんだぁ。味噌は秋に豆がでるから、仕込みは秋でしたっけかね。
家で作らなくなってからは、最近までは気仙沼で作って貰ってたんですね。子どもたちが、「仙台の住民は仙台味噌ってやるのに、なんで唐桑から味噌もって行く。いらない」って誰も食べないから、いまは家でも近所で買って食べるの。生協さんが持ってきてくれるし、お店でどこでも売ってるからね。
お茶も作ってましたしね。囲炉裏に炭をおこしてね。四角な入れものに、何枚も何枚も厚く紙を貼ってね。そこに蒸したお茶の葉を入れて、炉の上で蒸気を飛ばしながら揉んで、カラカラになるまで水分を飛ばして、作ってましたよ。新芽がでたころね。5月かなあ。今はそんなこと、する所どこもないけど。
とにかく、自給自足でしたからね。どこの家でもね、田はあるし畑はあるし、小漁にいって父親とか兄たちは魚獲ってくるしね。ホヤ、アワビ、ウニ、そういうのを食べて育ってね。骨のうるさい魚でも、アワビでも何でも好きだから、「なんぼでも食べろ」って、アワビなどは、周りの固い所を包丁で取って真ん中ばり(だけ)食べました。なんぼ好きでも、2個も3個も食べれば飽きてしまうから、もらって行くからって、むき身をポケットさ、いっぱい入れて持って帰って来たもんだ(笑)。今なら、買えば1個1000円以上するもんね。
梅干をつけるのにね、家のお姑さんが、「梅は、毎年なるもんでないから、今年なったらいっぱい漬けなさい」と。「来年はなんないかもわかんないよ」って。
この地区は、当時は半農半漁です。うちも田んぼも畑もやって、海では天然のウニやアワビやワカメを獲って暮らしていました。当時はまだ養殖はない時代です。
「かっこ船」っていう木を合わせた船に乗って、箱メガネで水中を覗いて竹竿(鉤)で獲る時代です。
海に船で行くのも一人で行かなければならなかったから、アワビを獲るときでも、波がザブンと来ると船が勝手に動いて岩にぶつかることもあったんだ。ふつうは「こんな所、もう来るもんか」となるけど、船を修理するのだってお金がたくさんかかるから、漁に出ないわけには行かない。「だったら私が行こうか」ということになって、毎日父親の船に一緒に乗って行ったの。アワビ獲りでも、カゼ(ウニ)獲りでも、トモ(船尾)の操作というのは大変なんだけど、そこを私がやったの。