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小泉に「ひまわり温泉」って言って、お風呂や、シャワー、お茶っこ、夜は少しお酒も出して人の話を聞いたり励ましたり、一生懸命やってくれていたおじさんがいたの。で、ウチの3人の孫達は、皆そのひまわりおじさんの所へ行って、お手伝いをしていたの。
朝早く5時頃起きて、下の瓦礫へ行って、瓦礫を持ってきてストーブを点けて、お湯を沸かして。まだ寒かったから女の人たちが炊事をする時に冷たいでしょう? 湧き水を汲んで、ストーブ3つでお湯が沸くように準備してました。自分たちも服がないのに、汚くなって擦り切れるまで瓦礫を運んでね。
成人した男の孫は、会社から理事長さんが来てくれて、「会社が無くなったから」と話されて一度は会社をクビになりました。それで他にすることもないから、一生懸命ひまわりおじさんの手伝いをしてね、夜お酒を出す時も、自分は飲まないけど、お手伝いはしていたの。
そうしたら、1週間後にもう一度理事長さんが訪ねてきて、「どうしても、おめぇのことクビにしたくないから、福島に出張してくれ」って言われたの。福島って、原発だよね?
「出張してくれ、悪いけど・・・」って頼まれて、孫も少し怖いとは思ったんだけど「使ってもらえるなら行きます」ってお返事したの。でも、行くと決まっても着る物も履く物も無い。中学生の孫が「ウチのあんちゃん、仕事で福島へ行くんだ」って、ひまわりおじさんに話したら、明日福島へ行くっていう晩に、大きな袋に、靴とTシャツと作業着上下と靴下、手袋、帽子と全部入って、それに団扇(うちわ)のでっかいのも入ってて、その団扇に「さとし、がんばれ! ひまわり爺より」って書いてあったの。本当に嬉しかったです。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
避難してきて2カ月くらいの頃に、ハサミと櫛をいただいて、その時はひまわりおじさんのシャワー小屋を一つ借りて、みなさんの床屋をやりました。外では風が強くてできないの。「やってちょうだい」って言われて、やってみたんだけど無理。それで、ひまわりおじさんのシャワールームが、手を洗う用に一つ空いていたから、おじさんに「これ貸して」ってお願いして、「良いよ」って。
狭いの。私が動けないから、お客さんに動いてもらってやりました。
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