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道路に面したところに店先があって、そこの窓から、祖母が雁月(がんづき)という練り菓子、ういろうより少し固いような菓子を作って、売っていましたね。泊浜とかそのほか浜の方の人たちが、山の方に田畑を持っているので、そこに行く途中に馬を休ませて、タバコ(おやつ)にその雁月を買って食べる人もあったんでしょう。高さが2センチくらいで値段は5円くらいじゃないかな。けっこうね、それで小遣いを稼いだように記憶してますね。
雁月の材料は、主に小麦粉と砂糖で、粉を溶いて砂糖を入れて、そこに炭酸か何か入れ、缶に入れ、蒸かし釜で蒸かすんです。白砂糖なら白っぽく、黒砂糖を使えば黒っぽくなる。
お米は食べられたと言っても、いろいろなものを混ぜて食べました。麦ばかりじゃなくて大根の葉の干したものや、ひじきご飯とか、サツマイモのご飯だとか、いろいろです(かて飯)。食べ物が本当に無い時代でしたから、学校のお弁当にはサツマイモを蒸かしたものや、きんとんを持って行きました。
きんとんってわかる? じゃがいもを煮て、皮を取ってすりこぎで潰してね、家族が多いから、お餅をつく臼に皮をむいたじゃがいもを入れてペッタンペッタン潰して少し粘りを出してから丸めて、花みたいにひねって格好をつけて。砂糖が無かったから先っちょに味噌をつけて、それを弁当缶に入れて持って行ったりしました。
家で畑もしていたから、小麦を蒔いて、小麦の粉で今ならホットケーキみたいなのを焼いて食べたりもしました。
砂糖といえば、戦後、小学校5年生くらいになると砂糖の配給がありました。その砂糖も、ザラメみたいな、目の細かいザラメって感じで、そこに毛布や南京袋のクズみたいなのが混じっているようなやつ。今なら大騒ぎでしょうね。その頃一緒にとうもろこしの粉も配給になったので、やっぱりお菓子を作ったね。作ったお菓子に砂糖をつけて食べて・・・。いろいろな代用食も作りました。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
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