文字サイズ |
子供の頃はやっぱりおはぎとかああいうのが好きでしたねぇ。子供の頃からよく食べてました。
ごちそうたって今のような食材なんかもないし、今はカレールーを売ってるけど、昔はカレーなんかもカレー粉を小麦粉で溶いた真っ黄色なカレーで、肉なんかも買えなかったし売ってなかったから、肉の代わりにソーセージを入れたり、ちくわを入れたようなカレーでした。カレーは子供のころからありましたよ。
おやつなんてのはないから、木の実を捕って食べたりしてました。木に登ったり拾ったりして。秋になるといろいろ木の実が出るんです。アケビやグミ、あと柿とか。おやつ調達が遊びだったんです。
子どもの頃のおやつといえば、豆もちもうまかった。いっちゃん、かんちゃんと3人でかくれんぼして、かんちゃんがオニになっちゃって、「まーだだよ」って言っている間に、ふたりで「食ってしまおう!」って・・。食べてるところを見つかって、「お前ら何やってんだー!!」ってね(笑)。
豆もちとか、すみもちとか、草もちとか、きな粉を絡めたものを、ばあちゃんが出してくれたりしました。また、同級生のおばあちゃんが、畑で作ってくれた瓜を冷やして食べさせてくれたのを覚えています。だから、本当におやつと言えば手作りのものでした。芋を茹でたものとか、遊びに行った家のおばさんが子どもたちに出してくれているのが、3時のおやつだった時代です。
それから、柿をくすねたりも・・「あそこの柿は甘いから食べよう!」ってかんちゃんが言うので食べてみたら渋柿で、「ウワ~!!」って口から出したり(笑)。そのあと、その渋だらけの口をどうしたかって言うと、今度は人様の家の大根をくすねて食べたり・・。そういうことを大人は黙って許してくれた時代でした。いっちゃん、かんちゃんとは、本当に3人でよく遊びました。
そのころのお弁当の中身ですか? 梅干が入っていれば、上等なんだよ。沢庵(たくわん)は臭いから、持っていかないんだよね。ほかには、味噌が入ってましたね。おにぎりだの、お弁等缶だのを持っていくこともありました。
甘いものは、お金を出さなければ買われないから、そんなに食べられないけれど、少しは食べられたの。戦争当時は、甘いものひとつも無かった時期(とき)が2~3年くらいあったから、私たちは食べたけども、昭和19(1944)年生まれの大きな娘は食べられなくて可哀想だと思ったけどね。その前は甘いものあったよ。
干し柿は年中あったよ。夏んなるとカビが出るから、食べごろはその前までだけど。どこの家でも柿がなるからね。それも玉子柿、こんなちゃっこい(小さい)柿なんだ。今のように大きい柿は植えなかったんだよね。ひとりして育って、ひとりして生った柿なんだよねぇ(笑)。
飲み物は、お茶と麦茶くらいだね。あとサイダーもあったんだよ、お金出せば。今ないんだけど、瓶さ玉が入って、ああ、ラムネだ。あいつが出てきたんだよね。今はないけどね、あんなのはあったよ。お金出せばね。
子どもが小さい頃から、お漬物やおひたしもおやつに出してましたけど、この辺では「鍋焼き」っていうのを作ってました。やっぱりお姑さんに教わってね。小麦粉を水で練って、鍋で焼いたのね。味はお塩とお砂糖と。昔は弦(つる)のついたおっきな鍋があったんです。
そこにトロンと落して、少しはがして、ひっくり返して。薄くて、モチモチした感じなんだね。そのまま切って食べたり、みょうがの葉っぱの載せて焼いて食べたり、あとは昔は青ジソがないから、赤しその葉っぱの上に、その練ったものを載せて、両方返して。そうすると葉っぱの形だけじゃなく、香りも移るからね。ゴマとかクリとか入れたら最高おいしいんだけど、せいぜいゴマふったりする位だね。
この辺では労働しますから、10時のおやつのことを「タバコ」っていうけれど、その時にまあ、そういうのおやつを食べたり、漬物、たくあんなんか出して食べたりしたんです。今のように、買って食べないからね。仕事がやっぱりきついから、おやつを食べるのね。今みたいに12時に昼じゃないんですよ。10時になると、「タバコだよ~」って声かけますね。
いつだかの新聞で、東京のほうから気仙沼の方さ来たお嫁さんが、お姑さんが「大工さんにタバコ出さい」って言われて煙草持ってったって。そんな話もあったですよね。なにもそんなおやつのこと、タバコなんて言うはずないと思うよね。
戦争中は物が無かったから、私の家は農家だから、できたものは皆で分けっこして、買って食べようと思ったことはありません。自分で採った物を少しずつ皆で食べました。分けてね。果物はその時分は、山で木の桃を採ってきたり、いろいろなを植えたりしました。当時は、「何々を食べたい」とかは、思いませんでした。
お母さんは、一生懸命お努めして、子どもたちに食べさせてくれました。干し柿は、そのままでは食べられない渋柿を食べる調理法の工夫だね。皮をむいて干すでしょう? 干して、粉が上がったら、裂いて大根おろしにしたり、さつまいもだって干して干し芋を作ったり、生の柿を潰して粉を入れてかき餅にして食べました。
米を炒って香煎みたいにして食べたこともあります。蕎麦粉に味噌と出汁を入れて、鰹節なんかも入れて練って囲炉裏で丸く焼くんです。家で採った蕎麦だから美味しいの。朝早く起きて、おやつになるように作って、あれも美味しかった。
なんでもやりました。今、買って食べるのは昔のと味が違うね。自分たちで採って、自分たちで手作りです。
後は、サトウキビ、沖縄で売ってるね? ああいうのも、私たちも作りました。あの時分は砂糖もないから、切って煮出してザルにあげて、その汁を煮詰めるんです。1キログラムの水を200グラムくらいまで煮詰めるんです。そうすると甘味がウンと出てくるの。そういうので、お正月にお餅を食べたりしました。皆で少しずつ分けてね。買って食べるということがないからね。
Please use the navigation to move within this section.