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お正月に口に入るごちそうは、みんなこの辺りでとれたものです。お雑煮を作って、あんこ餅を作って、クルミをつぶして。クルミは金槌で叩いて割るんです。それでお雑煮には、(お雑煮の具に欠かせない)「お引き菜」と言って、中身は大根が千切りになって、にんじん、牛蒡と、しいたけと、あとは昔はね、地こんにゃくって言う名の黒いこんにゃく、それを千切りにしたのを入れて団子に作ります。その上に、蛸の渦巻(22ページ参照)とか、お雑煮の上盛りをします。仙台だとハゼなど付ける(※焼きハゼで出汁を取る仙台雑煮)んだけど、このへんでは、蛸の渦巻とかアワビとか付けてたんですよね。さらに、この辺りは鮭が登ってきて捕れたからイクラ(ハラコ)、セリはこのへんの田んぼから冬でも採れたから、セリのせて、シイタケのせて、それから、紅白のかまぼこをのせて、すごく豪華でした。
そこにお餅が入るのね。お餅がいらないっていうと「コウ」だけになるのね。コウっていうのはどんな字を書くんだったかな。よく「コウだけでいいな、餅いらないな」ってよく子供たちだけで言ってましたね。
あんこ餅とクルミ餅も用意します。あんこ作りは、大忙しだったのね。あんこ通しっていう道具があって、小豆をつぶしてこしあんにするわけね。そして袋に入れて水にふやかしてあんこを作ります。クルミはつぶして、剥くのは子供の仕事。クルミ餅とあんこ餅とお雑煮として、それでお正月の食卓は整います。
そして、大根おろし。神様にお供えするのに塩を使ってはだめって言われました。それで酢で味をつけたんです。紅白のかまぼこをお皿置きにして、そしてお正月の朝に、父親が神様に必ず捧げて、子供がその後ろにぞろぞろついていって拝むんです。
私たち農家のお正月といえば、昔は旧正月に祝ったものです。
お正月の準備は小寒、1月の半ばあたりに、まず凍(し)み豆腐を作ることから始まります。自分たちで育てた豆から、自分の家で作るんです。農家はみな、そうやったんですね、昔は自給自足でしたから。その豆で豆餅や納豆も作るんです。「ツトコ」といって藁で作った容器に入れて作る「ツトコ納豆」です。
それから飴餅です。聞いたことがないでしょう? 今でも、復刻して、道の駅なんかに売ってますよ。この登米郡地域のお正月には欠かせないものです。
飴餅の作り方はこうです。
秋に大麦が発芽してくると、麦芽っていうんですが、それを天日に干して、水に浸して「うるかし(湿らせ)」ます。その芽を使って煮た餅米をふかし、それと合わせて発酵させて、絞って煮詰めて、水飴を作ります。それを餅にからめたのが飴餅。私はそれが好きで、(結婚して登米を離れ)志津川に行っても、お正月には必ず飴餅を作ってる人を聞いて買ってきたものです。
飴餅のレシピについては、NHKの「今日の料理」のサイトに美しい写真入りで紹介があります。
また、飴餅を食べる時にかける、きな粉も自分の家で作ったんですね。きな粉用の豆を大きい鍋で炒って、石臼で挽き、ふるいにかけて作りました。豆は子どもでも挽けましたよ。中学生ぐらいになれば、手伝ったものです。飴餅にそれを混ぜて、食べるんです。うんと甘いんですよ。
そんな風に、私が住んでる志津川町と、登米のほうの餅は違うわけです。志津川の餅はあんこ餅だのクルミ餅だのですが、こちらの方は飴餅とか、あと納豆餅とかになりますね。雑煮はおんなじだけど。
あとちょっと変わった食べ物では、エビ餅っていうのがあるんです。これは、「沼エビ」を使います。今スーパーなどで売られているのは、ほとんどが茨城県の霞ヶ浦で獲れたものです。火の通った状態で売られていますよ。そのエビに醤油をかけて、納豆餅と一緒に食べるんです。
沼エビといえば、この付近はね、昔は「掘」と言って、川の小さいのでエビが獲れたこともありました。しかし、この一帯が改田(かいでん)、つまり全部耕地整理されて、水が流れていた田んぼが干拓されてしまい、水が枯れてしまったんです。だからもう、エビはいないし、ドジョウもいなくなったんですね。子どものころはドジョウを獲りましたよ(笑)。
小さいころからそういう手作りの正月を祝ってきたので、我が家のお正月は、こんな風に登米風に祝うんですよ。
「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ
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