歌津の伊里前に生まれ郵便局員として勤め、町の人々の生活を支えてきたご夫婦の物語です。奥様との出会いと結婚のお話は、とてもロマンチック。今なお奥様をいたわりご主人を立てる夫唱婦随のお姿に、インタビューをした若い学生たちは多くを学んだことでしょう。
この物語は、気仙沼で生まれた及川育子さんが、大谷海岸で少女時代を過ごし、浜松に仕事のため単身赴いたのち、ご結婚で歌津に来られてから現在までの思い出をつづった、いわば「三都物語」です。お住まいの場所の変遷が、そのまま育子さんの女性としての成長、円熟の物語になっています。
いつも海と共にいて、時代を先取りするアイディアが素晴らしい橋田さん。「一匹狼ではダメだぞ」という生きる姿勢を貫かれています。「俺の曾爺さん、『海は俺の金庫だ』っていうんだ。海に潜ればなんとでもなるんだ」と、誇らしい笑顔でお話しくださったことがとても印象的でした。
昭和ととともに産声を上げ、伊里前に生まれ育った高橋静男さん。その知識の豊富さ、好奇心、ユーモアに溢れた語り口を収録したこの自分史は、私たちにとっても素晴らしい財産となりました。この自分史が、高橋さんにとってもう一つの宝物になるように願ってタイトルをつけました。
歌津の小さな漁師町で生まれ育った丸山敬一郎さん。高度経済成長期の日本を代弁するような人生の数ページをたどれば、「ああ、この場所にあなたがいたんですね。いまの日本になくてはならない働きをされたんですね」と感じる人は多いはず。
厳しい研鑽を経て農業家として、また地域の長として努力を重ねてこられた牧野駿さんの人生には、ものすごい厚みと重みがありました。汲めども尽きぬ泉のごときエピソードはすべてが味わい深く、牧野さんの人と人の縁を「結う人」としての生き方が、私たちの心に刻まれました。
農業家として「緑の手を持つ人」であり、区長として「中瀬町を力強くけん引するリーダー」であり、家庭人として「家族思いの父親」でもあるのが佐藤徳郎さん。穏やかな語り口や、笑うとほんとうに優しいまなざしからは想像できないほど、目標に向かって熱くひた走ります。
たくさんの人が自宅に集うことを好んだご両親。近所の人が代わるがわる入りにきた大きなお風呂。威厳タップリのお父様、お手伝いにいそしんだ子供たち。楽しいお正月。海水浴。高橋家の家族行事の数々や登美子さんの少女時代のエピソードは、私たちをタイムスリップさせ、「旧き良き日本」へと誘ってくれます。
2011年、あの未曾有の震災後、馴染みのない土地で、右往左往し、日々汗と泥にまみれていたボランティアに、真っ先に支援の手を差し伸べてくださったのは、源さんでした。そのやさしさと勇気。それらがいったいどのように育まれてきたのか、知りたい!そんな思いで取材させていただきました。
志津川で生まれ育った手塚和子さん。笑うとうんと細く優しくなる大きな瞳、あたたかい語り口。そこからは過酷な体験をされたことなどわかりません。和子さんは、安易な言葉で人を励ますという行為がいかにむなしく、思い上がったことであるかを、わたしたちボランティアに気づかせてくれました。
田辺喜一郎さん(仮名)は、大正生まれ。昭和の戦前戦後を成年で過ごされ、当時の貴重なお話をうかがえる方です。私たちの聞き書きプロジェクトの中でも最高齢です。喜一郎さんのお声は、とてもはっきりとして年齢を感じさせません。穏やかな語り口で、色々なことを教えていただきました。
孔子が弟子の曾子に対して「自分の道は終始一つの道で貫いている」といった。曾子は「はい」とだけ、答えた。孔子は、黙って部屋を出られた。門人たちは、理解できず「なにの話をされたのか」と質問した。
曾子は、「先生は、わが道は、まごころと思いやりの心、忠恕のみである」と説明された。